とにしよう。二時から三時までの間に両方でそこまで行って待ち合わすことにして互いに電話を切ろうとすると、女は念を押すように、
「もしもし、あんたはん違えんようにおしやす」
 いくらか嗄《しわが》れたような女の地声で繰り返していう。私はいきなり電話口へ自分の口をぴたりと押し付けたいほどの気になって、
「戯談《じょうだん》を。そちらこそ違えちゃいけないよ。私はねえ、京都の地にいる人と違うんだよ。ゆうべ夜汽車で、わざわざ百何十里の道をやって来たのだよ。気の長い人だから、時間が当てにならない。待たしたら怒るよ」そういうと、電話口で、ほほと笑う声だけして、電話は切れた。
 やがてもとの座敷に戻ってくると、女中はくたくた煮える鍋の傍に付いていたが、
「来やはりしまへんのどすか」と訊《き》く。
「ここへは来ないようだ」
 そういって、私はそこそこに御飯にしてしまった。南に向いた窓から河原の方に眼を放すと、短い冬の日はその時もう頭の真うえから少し西に傾いて、暖かい日の光は、そう思うて見るせいか四条の大橋の彼方に並ぶ向う岸の家つづきや八坂《やさか》の塔の見える東山あたりには、もう春めいた陽炎《かげろう》が
前へ 次へ
全53ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング