る。
「ここではいえまへん」子供かなんぞのように同じことをいう。
「ここでは言えんて、ここで今言えなければ、いう折はないじゃないか。なぜかえるというの?」
そういって、問いつめても、女はろくにわけをもいわずただ頑強《がんきょう》に口を噤《つぐ》んでいるばかりである。
明るい電燈の光をあびている彼女の容姿《すがた》は水際立《みずぎわだ》って、見ていればいるほど綺麗である。そして、ふっと気がついてみると長い間見なかった間にそうして坐っている様子に何となく姉さんらしい落着きが出来て、どこといって口に言えない顔のあたりがさすがに幾らか年を取ったのがわかる。それはそうである。はじめて彼女を知ったのが五年前のちょうど今の時分で、爽《さわ》やかな初夏の風が柳の新緑を吹いている加茂川ぞいの二階座敷に、幾日もいくかも彼女を傍に置いて時の経つのを惜しんでいた。座敷から見渡すと向うの河原の芝生《しばふ》が真青に萌《も》え出《い》でて、そちらにも小褄《こづま》などをとった美しい女たちが笑い興じている声が、花やかに聞えてきたりした。彼女はそのころよく地味な黒縮緬のたけの詰った羽織を着て、はっきりした、すこし荒い白い立縞《たてじま》のお召の袷衣《あわせ》を好んで着ていたが、それが一層女のすらりとした姿を引き立たせてみせた。でもそのころは今から見ると女の二十という年からあまり遠ざかっていない若さがあった。私自身にとっても、この女のために……まさしくこの女のためのみに齷齪《あくせく》思っている間に、五年という歳月は昨日今日《きのうきょう》と流れるごとく過ぎてしまって、彼女は今年もう二十七になるのである。そう思ってまたじっとその顔を見ていると、水浅黄《みずあさぎ》の襦袢の衿の色からどことなく年増《としま》らしい、しっかりしたところも見える。
女は、女中が先ほど持ってきた白い西洋皿に盛った真紅な苺の実を銀の匙《さじ》でつつきながら、おとなしく口に持っていっている。
「今夜ぜひ逢《あ》う約束でもしている人があるのか?」私はそういって訊ねた。
「ちがいます」
「逢う約束の人がなければ、ここにいたっていいのじゃないか。手紙でこそ月に幾度となく話はしていたけれども二年近くも逢わなかったのだから私にいろんな話したいことがあるのはあんたもようわかっているはずだ」
「そやから帰ってから、後でいいます」
「あん
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