「まあ、そんなことをいわないで一緒に食べよう、待っている」
女は、私の方へは答えず、女中に向って、
「姉さん、どうぞ、ほんまに置いとくれやす」
といって断ったが、ともかくも調《ととの》えて持って来させた。けれども、彼女は箸《はし》も着けようとせず、餉台の向う側に行儀よく坐ったままでいる。そんな近いところから見ていても、ちょうどこんなすがすがしい初夏の宵にふさわしいばらりとした顔であった。匂《にお》やかな薄化粧の装いが鮮《あざや》かで、髪の櫛目《くしめ》が水っぽく電燈の光を反射して輝いている。
女はとうとう並べた物に箸をつけなかった、女中が膳《ぜん》を引いてゆく時、
「姐《ねえ》さん、えらい済んまへんけど苺《いちご》がおしたら、後で持ってきとくれやす」
自分で注文しておいて、やがて女中が退《さが》っていったあとで、女はさっきから黙って考えているような風であったが――もっとも彼女はいつでも、いうべき用のない時は無愛想なくらい口数の少い女であった。自分は、それが好きであった――やがてまた、彼女の癖のように、べちゃべちゃとその理由をいわないで出抜けに、
「あんたはん、私、ちょっと帰ります」と、謎のようなことをいう。
私は思わず胸をはっとさせて、じっと女の顔を見ながら、
「帰りますって、お前、やっと今来たばかりじゃないか。なぜそんなことをいうの。さっきの袖菊《そでぎく》へいけば、あそこでは話がしにくい、此家《ここ》へ行っていてくれと、あんたがいうから、私はここへ来たじゃないか。一体お前の体のことはどうなっているの? 私ももう四年五年君のことを心配しつづけて上げて、今日になっても、五年前と同じように、やっぱりずるずるでは、とても私の力には及ばない。私は、先日うちから幾度も手紙でいっているとおり、今度もあんたと遊ぶためにこうして今日は来たのではない。そのことを訊こうと思って来たのだ。君はいつまで商売をしている気でいるの?」
私は腹を立てたような、彼女のために憂いているような、なんどりした口調で訊ねるのであった。けれど彼女は、口ごもるようにして、それには答えず、
「それはまたあとでわかります」と、困ったようにしかたなく笑っている。
「あとでいいます言いますって、それが、あんたの癖だ。もうそれを言って聴かしてくれてもいい時分じゃないか」私もしかたなく笑いにまぎらしてとい詰め
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