ぢぼう》を下すと、ぽうと笛を吹いて汽船の姿が近くの水の上に見えた。
浮御堂は、その棧橋を渡りながら右手の方の汀から架け出してあるのが見えてゐる。緑の濃い松が數株そのまはりの汀に立つてゐる。芭蕉は、
[#天から2字下げ]錠あけて月さし入れよ浮御堂
と詠んでゐる。叡山|横川《よかは》の惠心僧都《ゑしんそうづ》の創建で海門山滿月寺といつてゐるのは、ふさはしい名である。中には千體阿彌陀佛を安置してある。やがて船が着いて私はやつと湖上に浮ぶことが出來た。前甲板に呉蓙《ござ》を敷いて天幕の張つてある處に座をとつて私はそこから四方を顧望してゐた。
今朝山を下りて來る時分には、どうかと氣遣つた天氣は次第に晴れて大空の大半を掩《おほ》つてゐた雲は追々に散らけ、梅雨上りの夏の來たことを思はせる暑い日が赫々と前甲板の上を蔽ふたテントの上に照りつけた。雲が刻々に消散して頭の眞上にあたる蒼空が次第に天上の領域を擴げてゆくと共に、水の面も船の進行につれて蒼茫として濶けて來た。日は水を照らし、水は光を反射して輝き、水と天と合して渾然たる一大碧瑠璃の世界を現出し、船はその中を、北から吹いてくる習々たる微風に逆つ
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