たかも知れぬが、今はもう半ば枯れて空しく無慘な殘骸を湖畔に曝《さら》してゐる。それは樹齡の定命で自然にさうなつたものか、それならば止むを得ないが、汽船の煤煙で枯れたものとすれば惜しいものである。
とにかく堅田《かただ》、野洲《やす》川河口の長沙以南の湖畔の景致は産業文明のために夥しく損傷されて、昔の詩人騷客を悦ばしめた風景の跡は徒に過去の夢となつてしまつてゐる。水も底が泥で汚く濁つてゐる。その代り轉軫の部分から胴の部分に入つて、堅田の鼻を一と※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りして遙に北に眼を放つと、水面忽ち濶《ひら》け雲煙蒼茫として際涯を知らない。
私は琵琶湖の奧の絶景を人から聞いてゐたのは長いことであつたが、いつかは行つてみたいと思つて氣にかゝりながら久しく果たすことが出來なかつた。先頃京都にゐる間にも三條大橋の京津《けいしん》電車の終點からゆけばわけないので、幾度か思ひ立ちながら毎時好機を逸してばかりゐた。すると、僧房の色彩の乏しい生活と、寂しい心を誘惑するやうな堅田の人家の群りと燈火とは遂に私をして、ある五月雨ばれの朝早く比叡山の上から二十五町の急阪を降つてゆかしめ
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