う五時頃から棧橋の處に降りて行つて待つてゐた。沖は曇つてゐるが、切符を賣つてゐる老人に今日の天氣はどうかと訊くと、「天氣になりますやろ」といふ。雨が降つたら潮が多少荒れるばかりぢやない。坂本から二十五町の杉林の下を叡山まで登つてゆくのが難儀である。昨夜は眠られぬまゝにそんなことばかり氣にかゝつてゐたが、老水夫の經驗によつてその點は安心らしい。やがてブウと汽笛が島の蔭で鳴つて鹽津から出て來た船が着いた。客は私一人かと思つて通ひ船に乘り込んでゐると、寺の高い石段を寶巖寺の老僧が新發意《しんぼち》などに扶けられて、杖を突いて急いで降りて來られる。舟夫に老僧が何處かへゆかれるかと訊くと、何處かへゆかれると答へたが、言葉がよく分らなかつたので、何處へゆくのだらうと思つてゐるうちに老僧はそこに渡した歩板をわたつて舟に入つて來られた。十四五歳の新發意が千代田袋に菓子折くらゐの小さい包みを持ちそへて附いてゐる。私は好い鹽梅に老僧に會ふことが出來た。二晩厄介になつたお禮もいひ、話しに七十幾歳の高齡で、竹生島に小僧さんの時分からずつと定住してゐられるのだといふ。花は咲き鳥は歌ふことがあつても嘗て女人を解せ
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