櫻、椿、藤、楓などの四季々々を飾る樹木が案外に多い。椿は殊に島の蔭に面した、凄いほど青い水が岩を※[#「くさかんむり/酉+焦」、43−上−2]《ひた》してゐる處に濃緑色の影を翳《かざ》してゐる。舟夫はその椿が眞赤な花を付ける時分や藤の花が長い薄紫の房を水に映す頃の島の美しさを語つた。私にもその時分の美しさがよく想像せられた。琵琶湖もそこまで來ると、若狹、越前の國境に連なつてゐる山脈の餘脈が直ちに湖岸に迫つてゐて、廣い水は其等の斷崖によつて圍《かこま》れてゐるので、中禪寺湖や葦の湖などの火山湖と少しも異らない感じを與へてゐる。
 その日は一日さうして孤島に逗《とど》まつて私は又しても退屈さうに湖上を遠く眺めて早く夜が明けて明日になることを思つた。辨天の祠前の舞臺に上つて東の方を見ると、沖は灰色に掻曇つて伊吹山も、たゞ山の輪畫ばかりが幽かに見えてゐる。明日は雨らしい空模樣で、島の根を洗ふ波の音が夕刻に近づくに從つて大きくなつて來たやうである。

 頭の調子がどう狂つたか、昨夜は一寸も眠られなかつたので、夜の明けるのを待ちかねて起きいで、體を拭いて衣服を更《あらた》め、五時半に發する汽船をも
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