ながら、私は鳶衣《とんび》の袖《そで》で和らかにお宮を抱くような格好をして顔を覗《のぞ》いて、「おい、この下駄はだれの下駄?」と、男下駄を指さした。
「…………」
「おい、この下駄はだれの下駄?」
「それは柳沢さんの」
 お宮は例《いつも》の癖の泣くような声を出した。
「そうだろう。……洋食屋で朝からお楽しみだねえ」
 私は気味のいいように笑った。
「じゃあねえ、先だって君に話したとおり、もう君の心もよく分ったから、どうぞ私から上げてある手紙を返しておくれ」私は一段声をやわらげていった。
「ええ……」と、お宮は躊躇《ため》らうようにしている。
「おい、早くしてくれ。君たちにもお邪魔をして相済まぬから」
「じゃ、ちょっと待って下さい」と、いってお宮はまた二階に上っていった。
 私は階下《した》でどかりと椅子《いす》に腰を落して火のごとく燃える胸をじっと鎮《しず》めていた。
 二、三十分も経《た》ったけれど、まだお宮は降りて来ぬ。
 どうしているのだろう。二階から屋根うらへでも出て二人で逃げたのだろうか。そうだったら後で柳沢の顔を見る時が面白い、それとも上っていって見ようか、いやそいつはよ
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