沢は黙って飯を喰《く》っている。
飯が済んでから柳沢は、
「僕は鎌倉《かまくら》へしばらく行って来るつもりだ」と、いう。
「そりゃ好いなあ。いつ?」
「いつって、今日か明日か分らない」
「あれからお宮に会わないかえ?」私は微笑しながら訊《たず》ねた。
「会やしないさ」柳沢は苦い顔をしていった。
「ランプ掃除《そうじ》をしていた神楽坂の女はどうした?」
「あれは、あれっきりさ」
「だってちょっと好い女じゃないか」
「あんまりよくもない。……彼女《あれ》なら君にゆずってもいい」柳沢は戯談《じょうだん》らしゅう笑いながらいった。
私は、はて変なことをいうなあ。と心のうちで思った。
彼女《あれ》なら君にゆずってもいいというのは、彼女《あれ》でない女があるということだ。それはお宮のことである。じゃ、やっぱりお宮のことを柳沢は思っているのだな。そう思いながら私は、
「いや、別に僕はあの女が欲しいのじゃないが」といって笑いながら、
「やっぱりお宮の方が僕は好きだ」と、柳沢の思っていることに気のつかぬもののように無邪気にいった。
「……お宮はどうしても小間使というところだな。……それに襟頸《えり
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