《ふて》たような面をして、
「私酒に酔った」独語《ひとりごと》のようにいって頬をなでている。
「だれだえ? お客は?」軽く訊《き》いて見た。
「うむ、誰れでもないの」
「誰れでもないわけはない。だれだろう。それとも君の好きな柳沢さん?」
「うむ、柳沢さんなんか来るものですか。……よく酒を飲む客。一昨日から芸者を上げて騒いでいるの」
 そういうところを見ればなるほど柳沢らしくはない。
「そうか。……まあそんなことはどうでもいいとして、この間私の家へ来た時から私には君の心はよく分ったから、とにかく私が君のところにやっている手紙だけそっくり皆な私に返してくれたまえ。君からもらった手紙も私はこうして皆な持って来ているから。君の方から返してくれれば私の方からも皆な返すから……」
 そういって私は懐中《ふところ》から、ちょうど折よく持ち合わしていた紫めりんすの風呂敷《ふろしき》の畳んだのを取り出して、
「これこのとおり君の手紙は持っている。私のさえ返してもらえばその時これも返すから」
「私、ここにあなたの手紙なんか持って来ていないもの」
「だから今というんじゃない。君がも一度よく考えて見て、私の方
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