織を着た姿がちらりと眼に浮んだ。
「じゃ、おすまでも来ましたか」
「いや、お宮さん。あなたがそこへおかえりになるちょっと前、まだ終点まで行っていられるか、いられないくらいです。お会いになるはずだがなあ。お会いにならなかったですか」
「いえ、会いません。……それで何とかいってゆきましたか」
今まで何度来ても、それはこちらで玉《ぎょく》をつけてやるから来るので、向うからついぞ訪《たず》ねて来たことなどなかったのに、めずらしい。どうしたのだろう。と、滅入《めい》っていた心がにわかに引き立って、これはいくらか、惚《ほ》れられているのだな、と。そう思うとそこらがたちまち明るくなって、ぞくぞく嬉《うれ》しくなった。
「そしてこれを家へあげますといって置いていらっしゃいました」
老婦はお宮の絹手巾《きぬハンケチ》で包んだ林檎《りんご》を包みのまま差し出した。手に取り上げて見るとお宮と一緒にいるような薫《かお》りの高い香水の匂《にお》いが立ち迷うている。
「ああ、そうですか。何か用があるんだな」
「ええ、何か御用がありそうでしたよ。お留守ですと申しましたら、ちょっとそこに立って考えていらっしゃいま
前へ
次へ
全100ページ中67ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング