宮は太息《ためいき》を吐《つ》くようにしていった。
「僕が出してあげようか」
「出してもらったって仕方がない」
少し真面目《まじめ》な話しになろうとすると、後はそういってそらしてしまった。そういうわけで私もしばらくお宮に会わずにいた。
すると、忘れもせぬ二月の十一日の夜であった。日がな一日陰気に欝《ふさ》ぎ込んでばかりいた私は、その夜も、ついそこらをちょいと散歩して来るといって、水道町の通りをぐるりと一と廻りして帰って来た。私が入口に入る姿を見ると、すぐ上り口の間で炬燵《こたつ》にあたっていた加藤の老人夫婦は声をそろえて微笑《わら》いながら、
「あッもう一と足のところでした。惜しいことをした」
「どうしたのです? 誰れか来たのですか」
「あなたの好きな人が今見えました」老婦《おかみさん》は笑い笑いいう。
「好きな人ってだれです?」私は、そういいながら、腹の中ではッと度胸《とむね》を衝《つ》きながら、もしやお前でも夜の人目を忍んでたずねて来てくれたのではないかと思った。
そう思うと、お前の顔容《かおかたち》から、不断よく着ていたあの赤っぽい銘仙《めいせん》の格子縞《こうしじま》の羽
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