からまあやつと何うにかこうにか二軒ばね[#「ばね」に傍点]が出来るといふ様な事になつて、幾らか楽も出来ると思つてゐると大震災つて言ふ様なことになつてしまひました。それで、やはり元の木阿弥で貧乏して暮して居りますが、併し芸術家なんて言ふものは、元元金を拵へやうと言ふ頭でなつたんぢやないのですから、却つて貧乏の方が油断がなくて、芸を磨くことが出来ると思ひます。金があると油断して遊ぶ気持が出て来ます。
小さんさんなども晩年は大したものでしたが、一時はビラを描いて、お主婦《かみ》さんが常磐津の師匠をしてそれでやつと子供の手足を伸ばしたなんて言ふ話もあります。
○
総じて昔から噺家で金を拵へた人なんてものはないやうですが、今の噺家さんは中々さうではなく、金がなけりや首がない様なもんだ貯金だ/\と、それはまあそれに違ひありませんが、そればかり考へてゐるから肝心の芸を磨くよりも金を拵へる方に努力をして了ふ人が多い様に見受けられます。
これは又席亭さんの方も同じです。噺家で金を儲けて置き乍ら、噺家なんぞまるで何とも思つてゐない、自分の処の品物同様に考へ扱つてゐる人が多くなりました。
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