からまあやつと何うにかこうにか二軒ばね[#「ばね」に傍点]が出来るといふ様な事になつて、幾らか楽も出来ると思つてゐると大震災つて言ふ様なことになつてしまひました。それで、やはり元の木阿弥で貧乏して暮して居りますが、併し芸術家なんて言ふものは、元元金を拵へやうと言ふ頭でなつたんぢやないのですから、却つて貧乏の方が油断がなくて、芸を磨くことが出来ると思ひます。金があると油断して遊ぶ気持が出て来ます。
 小さんさんなども晩年は大したものでしたが、一時はビラを描いて、お主婦《かみ》さんが常磐津の師匠をしてそれでやつと子供の手足を伸ばしたなんて言ふ話もあります。

     ○

 総じて昔から噺家で金を拵へた人なんてものはないやうですが、今の噺家さんは中々さうではなく、金がなけりや首がない様なもんだ貯金だ/\と、それはまあそれに違ひありませんが、そればかり考へてゐるから肝心の芸を磨くよりも金を拵へる方に努力をして了ふ人が多い様に見受けられます。
 これは又席亭さんの方も同じです。噺家で金を儲けて置き乍ら、噺家なんぞまるで何とも思つてゐない、自分の処の品物同様に考へ扱つてゐる人が多くなりました。
 昔の席亭の主人は違ひます。当時茅場町に「宮松」といふ寄席がありましたが、其処の主人宮松三之助と言ふ人、この人は東京の火消組合の総頭取をしてゐてその頃飛ぶ鳥を落す程の有名な頭でした。処が、この人が一たび寄席へはいると、全く寄席の主人となつて高振つた所は微塵もありません。下足番と一緒になつて、お客さんに下足を出し、「有難うございました」と言つてお辞儀をする。楽屋へはいつて来ても「御苦労様でございます、有難う御座います」と言つて出方に厚く御辞儀をしたものです。
 初日といふと昔は真打の所へ、仮令へ中身は最中でもなんでも、菓子折を一つ持つて「今晩から何分御願ひ申します」と斯う言つて来たものです。従つて噺家の乗つた俥が木戸へ着くと、「へい師匠御苦労さまで御座います」と言つて大きな声を出して怒鳴つたもんです。是は何故かと言ふと、お客様に対し、自分の席へ出る噺家に箔をつけるといふ積りで席亭がやるのです。
 処が今はまるで反対です。先づかけ出しの真打ちならば初日に席亭の処へ行つて、「へい今晩から御厄介になります。どうか何分宜しくお願ひいたします」とお辞儀をします。それをしない芸人は、「何だ大きな面
前へ 次へ
全10ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
談洲楼 燕枝 二代 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング