たこと、それが何だといふのだらう。何でもありはしない。何の意味もありはしない。僕はその頃、自分の病氣であることを信じてゐたが、今ではそれすら信じないのである。その頃も今も、僕は孤獨なのだ。それが僕の本音であり、僕の全部なのだ。あゝ、この孤獨がどんなものか、僕は説明しようとは思はない。僕は島へ來る前に友人と話をして、俺は孤獨なのだ、と云つた。僕はそれを、ありうべからざる風に、滑稽な風に話した。そして、彼も笑ひ、僕も笑つた。だが、二人の笑ひが全然ちがつたものであることを僕は知つてゐる。そんなことはそれ以外に話しやうがないのである。若し眞面目に話さうとしたら、それこそ眞に滑稽で、眞に不快なものになる。だが、僕が孤獨だといふのも、やはり一時的なもので、やはり意味がない。では、どこに、どんな風にして、永久なもの、意味のあるものがあるのか。
 僕がこの土地へ來る氣になつたのも、何故だか解らない。誰がそんなことを知るものか。僕は何もかも嫌で、不愉快で、信ぜられない氣がした。僕の不眠症もこの頃大分よくなつたが、僕はもう以前の状態にはかへれないやうな氣がする。僕をして赴かしめよ。どこへ。どこへだか知るも
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