。そのことはもうとつくに僕の中で豫約されてゐたことのやうに感じられた。不可解な抵抗しがたい壓迫と、悲しい實に悲しい心持が、僕を殆んど何も解らないくらゐにした。するうち、僕は變に堅い椅子に腰かけてゐて、眼の前には安食堂の卓子《テーブル》みたいな机があり、その上に珈琲《コーヒー》のやうな色をした、紅黒い、どきどき光る液體の入つてゐるコップが置かれてあつた。それを見てゐると、僕はそれで子供と妻を殺したことがわかつた。すると死んだ筈の妻が僕の斜め前にゐて、白けた大きな扁平な顏を僕の方につき出して、あなたは私と子供を殺したんですよ、と泣きながら言つた。僕は答へることができなかつた。妻はやがて、彼女の顏を僕の顏にすりよせるやうにして、それを飮みなさい、と云つた。僕はどんなに恐《こ》はかつたらう。あなたは子供も私も殺したんだからあなたもそれを飮むのですよ、と彼女は又變な聲で云つた。何といふ嫌な、恐しい、避けがたい脅迫だつたらう。僕は默つて、その液體を眺めてゐた。それは僕が見た瞬間鈍く光つて搖れた。彼女はそれきり默つて、僕を見て、僕が飮むのを待つてゐる。僕はどうしても飮まなければならない。何故かしらな
前へ 次へ
全25ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田畑 修一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング