とらへて、榛の木の根もとに押しやつた。昌さんはやつと綱をほどいた。牛は温和《おとな》しくついて行く。すると昌さんは何を思ひ出したのか、急に綱をおつ放《ほ》り出して小屋の中へ入つた。民さんが、「何してるつ」と叫ぶが、なかなか出て來ない。昌さんはやうやく出て來た。どういふわけか、左足首に黒い紐を結びつけてゐる。民さんは又眞紅になつた。「何だ、何だつ」と云ひながら追つかけて、その紐をひきちぎらうとした。昌さんはあの「あ――あア」といふ聲を出して必死に拒んだ。民さんがその肩をつきやる。彼はどうしてこんなに怒るのかと他目《よそめ》には思へるほど奇妙な怒りに燃えてゐるのである。昌さんは綱のはしを持つて、氣むづかしい顏をして、ふらつくやうに榛の木の疎林と桑畑の間の路を向ふへ、その後から短躯の民さんが背負枠を負ぶつて、がに股をしてついて歩く。彼等は牛小屋のわきを通つて、そこにゐる他の牛どもを集めて、それらの黒と白の斑《まだら》な背が日の中にくつきり輝いて、傾斜の草地を上つて、芽の出そろつた林の中へ隱れてゆく。――
夜更けになつて、僕の耳に彼等二人が庭の向ふの小屋の中で言ひ爭つてゐる聲が聞えて來る。
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