方はどうにか普通にはいてゐるが、今片方は横履きにして、その方の足をひきずりながら出て來た。民さんが彼のだらりと垂れた帶をしめなほしてやつてゐる間、昌さんはそのどこを見てゐるのかわからない眼で、憂鬱さうに氣むつかしげにあたりを見て額に一杯の皺をよせてゐる。その皺は奇妙な皺で、何かあるときゆつと實にはつきりと浮かぶのである。
 民さんは昌さんの手を荒つぽく引つぱつて、牛小屋の傍に榛《はん》の木の根もとにつないである牝牛の綱をほどけと命じた。昌さんは例の皺をよせて、ひよろ長くつゝ立つてゐる。
「ほどけつたら、ほどけ」と、民さんが強く命ずる。まだ立つてゐるので、民さんは昌さんの肩を突きやる。昌さんは榛の木の根もとにおづおづと寄つてゆくが、牛が何ごとかといふ風に頭を下方に近づけるので、昌さんの眼の前にその角《つの》が來る。「あ――あア」といふ變な、しぼるやうな聲を出して、昌さんは手をひつこめようとするが、民さんが背後に立つてゐて許さない。「あ――あア」と呼びつゞけながら、昌さんは榛の木を楯に牛の角を避けるのが精一杯で、綱をつかむことができない。民さんが突然眞紅になつた。そしていきなり昌さんの腕を
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