にかへつた。そして前方を、桑畑の方を眺めてゐたが、突然のやうにその深く考へたとも見える憂鬱さが消えて、奇妙な、恰好のとれない顏になつた。何かが彼の眼に入り、彼の興味を著《いちじる》しく惹《ひ》いたのである。彼は眼を細めて、一所をぢつと注視した。僕は彼の興味をそんなに惹きつけたものが何であるかを知らうとして、彼の視線を追つたが、何一つそれらしいものは見つけることができなかつた。
 彼は働くことが極端に嫌ひである。一日中でも蒲團をかぶつて寢てゐる。氣がむけば、天氣だらうと、雨だらうと、山でも林でも寢て歌をうたふ。燐寸《マッチ》を恐れて、見せると逃げる。そしてひつきりなしに喰物をほしがつた。僕はその後のある夕方、風呂に入つてゐた。そこへ昌さん(彼の名は昌夫といふ)が歸つて來た。彼は小屋の中へ入つて、内部は煙でいつぱいなのと、例のうす暗いランタンのために、誰が風呂にゐるのかよく解らなかつたらしい。彼は永い間氣むつかしげにぢつとこちらに眼をこらしてゐたが、僕であるのに氣づくと見るのをやめて、入口の傍の竈の口に股をひろげてしやがみ、火にあたりながら開いたまゝの戸口をとほして向うの臺所口をぢつと眺め
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