女中達が嫌がるのを、見兼ねて幾が叱りつけ居間へ蒔を追ひやるやうにするのだつたが、又しても着物の裾を引きずり台所に出て来た。それも出来ないとなると、玄関傍の火鉢の前に坐りこんで、客毎に頭を下げ、場外れな挨拶をした。みつともないから、と云つて手をとり引き立てるやうにすると火鉢にしがみついて、自分の何処が悪いか、と頑《かたく》なに言ひ言ひ、皮膚に黒い斑点の浮いた褐色の筋張つた手をもがくやうにして幾の手を払ひ、揉み合ふこともあつた。それにしても、幾の愚痴を聴いてくれ、本気になつておろおろと涙さへ浮べてくれるのはやはり蒔なのであつて、血の通ひ合つてゐるのはこの母と自分だけなのだ、と沁々考へることがあり、さう云ふ時今更のやうに犇々《ひしひし》と孤独な不安に襲はれるのだつた。
冬になり、気遣つてゐた軍治はかへつて肥つた位だつたが蒔が寝ついてしまつた。心臓は確かだが、と医者は言つた。老衰だとは誰の眼にも明かだつた。
場所がないと云ふので自動車会社の人には他所《よそ》へ移つて貰ひ、居間が病室に宛てられた。床の間はついてゐたが、細長い建方なので、居間は障子を閉めると薄暗く、隅の炬燵で蒔は蒲団にくるま
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