、ぎくりとした。今迄とは別な意味で、鳥羽家の子、と云ふことが頭を掠《かす》めた。しかし、見た眼には、顔色は案外よかつた、変つた家の中の様を見廻し、苦がい鋭い顔になつてどこに自分は寝起するのか、と言つた。
 その時分、唯一の交通機関であつた乗合自動車が二つの会社に増え、新設の会社から運転手や車掌に部屋を貸してくれと申込まれて、客を引いて貰ふと云ふ弱味があり、否応なく承諾させられたのだが、客室を使ふわけには行かず、幾は自分達の居間を提供し、蒔と幾は玄関傍の帳場に寝起してゐた有様だつた。
 幾は今にも軍治から激しい権幕で詰めよられるやうな気がして、慌てて、玄関の上にある女中部屋を片づけ、掃除したのだが、その間、軍治は袴も脱がず、縁側にたつて中庭に向ひ、何か押へつけてゐる風な後肩を見せてゐるきりだつた。女中部屋は以前物置になつてゐたのを畳を入れ、天井を張つただけで、狭い急な板梯子《いたばしご》を上ると、煤《すゝ》けた天井裏の一部が見え、道路に面して低い窓があり、長持や器具類が壁際に押し並べ、積み上げてあつた。埃の舞ひこむ窓口に軍治は机を置き、長持に凭《もた》れて足を投げ出し、弱い眼つきで垂れ迫
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