てみると途中にある二つの中庭から、樹木の緑を混へた光が廊下に映り、足音をたてずに忙しく往来する女中達の白足袋などが鮮《あざや》かに動いてゐたりして面白かつた。
 初めの中、軍治は物珍らしく、長い廊下を走つてみたり、客用の器具を持ち運びする女中達の手伝をすると云ひ出してきかなかつたりした。朝に晩に、見知らぬ多数の客が出入して、中には度々来るので軍治の顔を見覚え「坊ちやん、来い」と言つて客室へ連れこみ、菓子を呉れる客もあつた。酔ひ痴《し》れて、廊下をふらり、ふらりよろめき歩き、面白がつて眺めてゐる軍治に、卑猥な指の作り方をして見せる男もあつた。常に家中を見廻り歩き、台所で口汚く女中を叱りつけてゐた幾が、さう云ふ客に向ふと、まるで別人のやうに物柔かな顔になり、腰を低くするのが軍治には恥かしく、腹立たしい気持だつた。
 夜は一時か二時に寝、朝は朝で女中よりも先に起き出る幾は、昼間の閑《ひま》な時刻にはごろりと居間の暗い片隅で横になり、直ぐに鼾《いびき》を立てた。すると、その時分はもうすつかり老いこんで腰の曲つた蒔がごそごそと一人物音をたてて、押入から蒲団を引出し、寝てゐる幾に掛けてやるのだが、
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