うになつた。
前から話はあつたのであるが、軍治が幾の家名を継ぐといよいよ決まつたのも、又、次男の昌平が遠縁の家へ養子に行くとなつたのもこの期間のことなのである。最早その時から父は自殺の覚悟をきめたのであらうか。それでなければあゝ云ふ風に一人一人の子供の片をつけて置くわけがない、と後では親戚の者も言ひ合つたのであるが、それはとにかく、家屋敷は銀行に引渡すことになつたので、幾はそれまで他人に貸してゐた料理屋の家をとり戻し、改めて旅館をやることになり、鳥羽は今度こそ幾の世話になる筈だつた。
そのところへ一切を検事局と新聞社に密告した者があつた。検事の家宅捜索に来る前日、鳥羽は幾の家を出て住み慣れた自分の家に行き母の病死した離れで縊死してしまつた。
それは午過ぎの頃で、母屋《おもや》には休暇で中学の寄宿舎から帰つてゐた長男の竜一や昌平、それに民子も丁度来合はせてゐたのであるが、誰一人気がつかなかつたのである。父は一度裏庭の方へ出て行き、離れへは裏の方から入つたものらしい。最後に父を見たのは昌平であつて、昌平は風呂へ水を汲み入れてゐたのであるが、父はその頭をいつもの癖で捻るやうに触り
「よ
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