た。見れば口も利けないほど興奮してゐるらしく、唇をたゞ無暗に動かせるだけで眼を据ゑてゐるのがすつかり普段の蒔ではなかつたので、幾はますます尻ごみしてゐると、それまで吃驚《びつくり》したやうに立ち辣《すく》んでゐた軍治が突然大声をあげて走つて逃げた。向うの子供部屋のあたりで激しく泣いている軍治をなだめてゐるのは卯女子らしく、他の児達の声も混つてゐたがやがてそれも止まり、急にひつそりとなつてしまつた。その切つて落したやうな空々しい沈黙の中で、幾と蒔の二人はやはり言葉もなく揉み合つてゐたのであるが、やがて二人とも疲《くた》びれ、静かになり、幾はそのまゝ板の間わきの土間へぺつたり坐りこんでしまふと、今はたゞ突張つただけの両腕の間に顔をすり落して、低い子供のやうな啜り泣きを始めた。
依然として父からは「可憐児」として扱はれ、母親代りに手塩にかけて来た卯女子からは特別な愛情を注がれてゐたので、軍治は本能だけが鋭敏な子供らしい増長をしてゐたのだつた。言つてみれば、幾は自分のために何でもしてくれるのだし、また自分がどう仕向けても構はない、と云ふ考へ方が自然と軍治の中に出来上つてゐた。しかし乍ら、母
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