分の苦労などは決して表面に見せてはいけないものだと考へを決めたのである。
だが蒔は別居してゐるだけに何かと気にかゝるらしく、時々顔を見せるのも幾の様子を見に来るのであつた。前とちがつて幾の指の荒れて来たことや、身仕舞なども構つてゐられないところなどは、どうしても眼につくらしかつた。幾はそれを隠すやうにしてゐるのだが、時には母にだけ見て貰ひたいと思ふこともあるのである。しかし蒔がぢくりぢくりそれに触れて来ると、幾は又腹が立つた。
その蒔がある日悪い時に顔を出した。
幾が軍治に殴られてゐた。何を怒つてゐるのだか解らなかつたが、脾弱《ひよわ》で癇癖の強い軍治は地団駄を踏みながら、何ごとか喚《わ》めいて幾の肩を小さい手で打つてゐた。幾は台所の板間に片手を突き、押しこらへるやうに肩を軍治のするまゝに任せてゐた。それを見ると今までのことが一ぺんに頭に来たのか、蒔はさつと顔色を変へて、物をも言はずに近よると、いきなり幾の腕を捕へて引き立てようとした。幾はその権幕に押されて、たゞ理由なく引き起されまいと身を圧しちゞめてゐたのであるが、蒔はどこからこんなに力が出るのかと思はれるほどぐいぐい曳いて来
前へ
次へ
全52ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田畑 修一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング