が漸くである有様だから、このやうにしてくれる幾の老母に対しては、何とも云へない感謝の念が湧いたのである。
 後になつて誰かが
「あの年寄りは確《し》つかり者だから」と言つたが、卯女子にはその意味が解るやうで解らなかつた。
 それから又、鳥羽側の親戚が、たゞの家婦《かふ》でならと云ふ条件で漸く承諾したことなど、幾が知り抜いてゐるのに甘んじて来るのは、それで自分の肩身を広くしようと云ふ腹があつてのことだと、見透したやうな物の言ひ方をする者があつた。
 卯女子はさう云ふ風な物の見方を知らなかつた。小柄な幾の肩姿が眼に浮び気の毒な感じがしたが、又何かと自分などには解らない底知れぬことが身のまはりにあるやうな思がした。しかし、姉の民子でさへやはりそれに似たことを言つてゐた。気のせゐか、近所の人との出会ひ頭《がしら》の挨拶などにも、さうとればとれなくもない言ひまはし方があると思はれた。そのことが卯女子の中に一種の翳《かげ》を落し、忘れてゐるとふいに頭を横切つて来るのだつた。
 もつとも、幾はいつも身をへり下つてゐるのであつて、子供達から「小母さん」と呼ばれても不足らしい顔は見せなかつた。大体卯女子
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