に父の中でも母のことが時々は深い思ひ出となつて出るのだらうと、考へがそこに落ちると自分も母がなつかしく、又さう言ふ父の心持が推《お》しはかられて自然と涙ぐむのである。しかし卯女子は幾に対してさう悪い感情を持つてはゐなかつた。母の病気見舞にやつて来た時の幾の様子は、今でも眼の前にあるのだつた。母が死んだ時、幾はその老母と二人で手伝に来たのであるが、主に口を利くのは蒔《まき》だけで幾は心持その後に控へてゐる風があり、手伝と云つても台所の方にばかりゐて、滅多に人の多勢集つてゐる座敷の方へは姿を出さなかつた。
湯灌の時、手伝の人々が病気が病気だからと尻ごみしてゐる風があるのを見ると、蒔は自分から先に立つて
「こんな風におなんなすつて、可哀想に可哀想に」と一心に独り言を言ひながら、痩せ細つた死者を抱き上げた。親戚の中には傍に立つたまゝ、それを見て「出過ぎたことをする」といふ顔をした者もあつたが、蒔はそれも眼には入らないもののやうに、残りなく拭き潔めたのであつた。実際卯女子にしても、自分の手に触れるこの死体が吾が母であるのかと思へば、ただただ涙が出るばかりであつて、結局は手をつかねて涙を押へるの
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