と笑はれたものであるが、やはり手は汚さないでも手入はしたやうな顔つきで、煙草を吸つては庭を眺めしてゐた。庭木の大部分は松根が生前好んで植ゑた木犀《もくせい》、山茶花《さざんくわ》、もつこく等の常緑樹であつた。それを特別に思ひ出すのは卯女子なのであつたが、父もそれを考へてゐたかどうか、そこまでは解らなかつた。
 上の男の児二人はとにかく小学校に通ふ年頃になつてゐたが、末の軍治は母親の晩年に産れた為か身体が弱く、又病気が病気であつたから母親の乳ものませないやうにしてゐたので、なほのこと皮膚から手足まで弱々しい感じがしてゐた。それもこの頃はめつきりいたづらになり頬にも紅い色が現はれて来た。着物を沢山着こんでゐれば、肥つて来たのかなと思はれ、鳥羽はいつも自分で風呂に入れてゐたのであるが、どうにか普通の子供らしい肉づきも実際に出来たやうである。その軍治が兄の歌をうろ覚えに声だけは高く唱ひながら、離れと母屋《おもや》とをつなぐ廊下を勢よく行つたり来たりして遊んでゐるのを、鳥羽は卯女子をかへり見て「あいつは母親を知らんのだからな」と言つたことがある。可憐児と呼ぶのが鳥羽の口癖であつた。卯女子はその度
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