まで起きて何か書き物をしてゐたのは知つてゐたが、新しい商売の支度に忙しかつたので、真逆それが遺書だとは気がつかなかつたのである。
最初から、いつもの気質で鳥羽は幾に向つても何も言ひはしなかつた。それでも、多少は耳に入ることもあるし、又急に出入の激しくなつたことや、ますます気難しい眉になつて行つた鳥羽の顔で、大体の様子は知つてゐた。いよいよ身動きの出来ない所に来て、鳥羽は「面目ない次第だがかう云ふ事になつた」と悉《くは》しく話してくれたのであるが、話の理否条路は女の幾には聞いたところでよく解るわけでもなく、たゞ胸のつまる思がした。
「何分よろしく頼む」と、自分のこととも軍治のことともつかず、鳥羽が幾に向つて頭を下げた時には、あの他人にはこればかりも弱味を見せたことのない人がと云ふ気がして、幾はその顔をまともに見ることさへ出来ない思をした。
なにか起らねばよいがと云ふ気もして、幾は幾なりに鳥羽の様子に気をつけてゐたのであるが、あれが遺書だと知つたならどんなことをしても死なせるのではなかつたと、思ひ出してはそれを考へ、又、民子などとも話し合つて泣いたのである。
あの朝も、鳥羽は、一寸向うの家へ行つて来ると言つて出かけたのであつた。引渡しの済むまではと云ふので、竜一と昌平の二人は親戚の者と一緒に未だ元の家にゐたのだつた。幾の新しい家の方では器具の整理や部屋部屋の手入などでこれもごたごたしてゐた。
軍治が午過ぎに走りこんで来て、子供らしい頬に息をのみ「お父さんが」と言つた。
気配で、幾はもうびくりとなつてゐたが、
「どう、どうなの」と、軍治の手を捕へて訊いた。そのまま手を引くやうにしながら、下駄をつゝかけて走り出すのと、死んでゐる、と云ふ言葉や場景が頭に入つたのとが一緒であつた。曾《か》つては軍治の母親がやつて来たり、又途中まで送つて行つたりしたことのある河沿ひの小路を、幾と軍治は何が何やら解らずに突走つた。路に小石が沢山出てゐて、下駄をとられさうになつた。子供でも、軍治の方が速い。久留米絣《くるめがすり》の小さい肩を切なく上下させ乍ら、軍治は幾の前を走つていくのである。遅れまい遅れまい、さう思ふのと、無暗《むやみ》にこみ上げて来る荒々しい感情とで、幾は青く捻《ねぢ》れたやうになつて前にのめつた。
成長盛りの年齢の加減もあるだらうが、この頃から軍治の心ははつきり
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