うになつた。
前から話はあつたのであるが、軍治が幾の家名を継ぐといよいよ決まつたのも、又、次男の昌平が遠縁の家へ養子に行くとなつたのもこの期間のことなのである。最早その時から父は自殺の覚悟をきめたのであらうか。それでなければあゝ云ふ風に一人一人の子供の片をつけて置くわけがない、と後では親戚の者も言ひ合つたのであるが、それはとにかく、家屋敷は銀行に引渡すことになつたので、幾はそれまで他人に貸してゐた料理屋の家をとり戻し、改めて旅館をやることになり、鳥羽は今度こそ幾の世話になる筈だつた。
そのところへ一切を検事局と新聞社に密告した者があつた。検事の家宅捜索に来る前日、鳥羽は幾の家を出て住み慣れた自分の家に行き母の病死した離れで縊死してしまつた。
それは午過ぎの頃で、母屋《おもや》には休暇で中学の寄宿舎から帰つてゐた長男の竜一や昌平、それに民子も丁度来合はせてゐたのであるが、誰一人気がつかなかつたのである。父は一度裏庭の方へ出て行き、離れへは裏の方から入つたものらしい。最後に父を見たのは昌平であつて、昌平は風呂へ水を汲み入れてゐたのであるが、父はその頭をいつもの癖で捻るやうに触り
「よく働くな」と言つた。それから
「軍治はどこかへ遊びに行つたのか」と訊いた。
昌平が、知らない、と答へると父は片手を懐に入れたままゆつくり裏の方へ行つた。
縊死してゐる父を最初に発見したのは軍治なのである。
遊び疲れて帰つて来た軍治は、幾から父が元の家へ出掛けたと聞いて後を追つたのだが、泥を手足から顔までくつつけてゐる軍治を見ると、兄も姉もからかひ半分に父は此処には来なかつた、と言つた。真に受けてそのまゝ又遊びにとび出したが、「可憐児」の彼はそれだけに父の姿を求めてゐたので、暫くすると又もや引返して来た。今度は、裏庭だ、と云ふので行つて見たがやはり父は見あたらず、大声をあげて父を呼び、答がないので半ば歌のやうな調子から次第に独語のやうにぶつぶつと父を罵《のゝし》り乍ら、その時分にはもう整理した家具|什器《じふき》の一杯に押し込んであつて誰もは入れないやうになつてゐた離れに、なにか悪戯でもする積りで忍び入り軍治は変り果てた父の姿を眼にしたのである。それからの軍治はもう夢中で、兄が走れば自分も一緒に走り、姉が叫び泣けば軍治も亦ついて大声に泣きだすだけであつた。
幾は鳥羽がその前夜遅く
前へ
次へ
全26ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田畑 修一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング