鳥羽家の子供
田畑修一郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)漸《やうや》く

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)御免|蒙《かうむ》る

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(例)[#地から1字上げ]
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 松根は五人目の軍治を生んだ時にはもう四十を越えてゐた。子供の間が遠くて、長女の民子はその時他へ嫁いでゐた位だつたが、男の児と云つては、長男の竜一が漸《やうや》く小学校に上つた許《ばか》りであり、次の昌平は悪戯《いたづら》盛りで、晩年のお産のためか軍治は発育が悪く、無事に育てばよいがと思はれる程だつた。
 松根の身体もそれ以後めつきり弱つた。気管支が悪いと医者に注意されもしたし、雨の日など寝て過したりした。だが、弱つたのはお産のためばかりでもなかつた。神経質で、何から何まで気のつき過ぎるやうな性分が、もうそれまでにすつかり心身を費ひ果してしまつた所もあるのだつた。次女の卯女子《うめこ》はもう娘になりかゝつてゐたので、家の中の仕事などは、松根の指図を聞いただけで大体やつてのけた。母が以前のやうではなく懶気《ものうげ》に身体を動かせて軍治の世話をするのを見ると、卯女子は仕掛けた仕事を止めても傍へ来て、軍治を自分の手に受取つたりした。それでゐて、するだけの事はてきぱきと片をつけるのだつた。そんな所は若い時分の母に似てゐた。
 松根は気を許したとも見える様子で、時々訪ねて呉れる民子を相手に、立働いてゐる卯女子を見やり、これなら私がゐなくとも大丈夫だ、と、笑つたりした。
 その民子が或る日、固い顔をしてやつて来た。
 父と幾との噂を聞いたのだつた。苦々し気にそれを言つたのは舅《しうと》の土井であつて、幾が中村屋と云ふ料理屋の女主人で、今はその母と二人暮の身であることは民子も知つてゐたが、真逆《まさか》あの父が、と云ふ気がした。誰にたしかめてみると云ふ人もないので母の所に来てみたのだがそれらしい気振《けぶ》りもない母に対《むか》つて、其の事を言ひ出すわけには行かなかつた。別に話すこともなくなつたが、長いこと傍に坐つてゐた。卯女子のところへ行つてみたり、又、母の傍へ来たりした。終ひには、松根の方で、そんなにゆつくり構へこんでゐて土井の方はいゝのか、と言つた位だつた。
 その時はそのまゝ帰つて来たが、噂が事実とすれ
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