ば母の様子も落ちつき過ぎてゐるし、事実無根とすれば何かと耳に伝はることが多かつた。退職官吏で、家名とか、気品とか云ふ言葉を常々口にする舅の土井は、二度とそれを言ひはしなかつたが、時々、鳥羽家の様子を民子に訊き、遠廻しに不機嫌な意向をほのめかした。それが窮屈でもあり、又、父母のことが気になりもして、民子は土井家と鳥羽家との間を行つたり来たりしたが、日が経つにつれ、噂は失張り事実であること、母は何もかも知り抜いてゐて、故意《わざ》と気のつかない風を装つてゐることなどが、朧気《おぼろげ》に少しづつのみこめて来た。
松根は其の後も民子に対つては一言もそれに触れなかつた。それに押されて此方で黙つてゐると、民子は不意に腹が立つたりした。何時言ひ出さうか、と思つてゐる中に、母が殊更のやうにこの頃幾と親しくし始めたのが眼についた。天気のいゝ日など、行つてみると卯女子がゐるだけで、訊いてみると、母は中村屋へ行つた、と言ふ。そんな事が何度もあつた。今日も行つたのかな、と民子がぼんやり帰らうとしかゝると、裏口から母が帰つて来たのに会つたこともある。出嫌ひな母にしては変でもあるし、身体の弱つて来たことを考へれば可訝《をか》しいと云ふ気がした。
民子はある時それとなく、父に対する不足を言つてみたのであるが、母はその不足が何を指してゐるのかを考へるやうに、しばらく黙つてゐた後で
「そんなことを言ふものではない」と強くたしなめ、その後で軽く笑に紛《まぎ》らした。
民子はそれまで、母が何故腹のなかを割つて見せてくれないのかと云ふ気がしてゐたのであつたが、その時は一言も言へないほど胸がつまつた。何ごとも表面にはあらはさないで、自分の中だけできまりをつける母の気質は、あれほどのみこんでゐた積りなのに、いまの母の、さりげなく押しかくしてゐる苦痛に何故気づかなかつたのだらう、と思つた。自分の父に対する不足も、もとはと云へば、舅の土井が自分に向けて父のことを遠まはしに誹難して来る、そのためのものであつて、母の場合にくらべて見れば、それこそなんでもない、と考へられもした。
さう思へば、母のやり方も一々得心が行くのである。母と幾は以前からの知り合ひであつたが、最近になつての親密な往来と云ふのも、父に肩身の狭い思をさせまいとする心遣ひなのであつた。
「私は身体が弱いのだからね」と、母はさう云ふ言ひかたで民
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