でいたら、ほんとうの名は「隆さん」だった。
「タイメイ」という人は若い指物師《さしものし》で、やはり東京に何年か出ていたのだが、病気で帰っているという。なんだか亀の名みたいで僕は「リュウさん」の例もあるし変な気がしていたが、字を訊くと「泰明」という立派な名前なのでよけいに面喰《めんくら》った。
「タイメイ」さんは医者のかえりだと言って薬瓶をさげて入ってきた。銘仙《めいせん》の光る着物を長く着て、帯を腰の下の方に結んで、ロイド眼鏡の鼻にあたるところが橋のようになっているのをかけて、顔は島の人に似合わない白さだった。それに様子《ようす》全体に何だかちょこちょこした、椅子に腰かけるにもそこらを歩くにも小腰を落したような、変に柔かい、遊人風《あそびにんふう》なところがあった。
「病気はなんだい」と、檜垣がからかうように訊く。
「え、まア、神経衰弱ですね」と、相手のからかう調子に用心した風で、にやにやして、ちょっと上眼に見る。
「おれは、タイメイが病気だっていうから医者にどんな病気かって訊いてやったよ」と、檜垣がわざとくそまじめに、それからニヤリとして、
「神経衰弱なんかじゃないだろう」
「えへエ、にいさんったらあれだ。そんなんじゃありませんよ」
それで皆が一時に笑いだす。「にいさん」というのは皆が檜垣を呼ぶ言い方だ。「タイメイ」さんは後から何をからかわれるか気にして、窓のところへ音をたてないように寄って、人目につかない用心をしていたが、檜垣が指物《さしもの》の話を持ちだすときゅうに元気になった。よく喋る。目の前に出された置物台の木理《もくめ》をしらべたり、指先で尺をとったり、こんこん台の脚をたたいたりして説明するんだが、その手つきにはどこか真似のできない巧みさがあり、他の人が持ったときよりも彼の手にあるときの置物台が何だか生きて見えるのだった。
檜垣は僕のために島めぐりの案内人をつけようと言って、
「そうだ、タイメイならちょうどよかろう。やつならおもしろい男だし、うってつけだ」
と、話していたのだが、「タイメイ」さんはその話を聞くとすぐに承知してくれた。
二日後の朝 僕はきゅうにうって変った背広服に色変りのズボン姿の「タイメイ」さん(その中には中島泰明という先日とは別の男が顔を出していた)といっしょに島めぐりに出かけた。
神着《かみつき》の部落をはなれると、路は右手に海をひかえた断崖の上に出る。そこは始めに島へ上るとき見た断崖だったが、上から見るとこんなに高かったかと思われるほどだった。浜の部落の屋根がほとんど真上からのように眺められる。ちょっとした切通しを抜けると、そこから先きはこの島の大部分がそうだが、雄山《おやま》からの傾斜面が海に来てきゅうに落ちこむまでのゆるやかな下《くだ》り勾配《こうばい》の地帯で、榛の木の林がいたるところ目につく。路は傾斜の皺々に添ってゆるく曲り曲りしてつづく。若々しい芽のふきでた林の上に微風があたると、いっせいに柔かく小さく揺れるのが見える。ところどころの赤い色の土くずれ。下方にとってもちっぽけに見える行儀のいい、四角な、少し円味《まるみ》をもって盛り上っている畑地。地面を蹴ってとびさえすれば何だか身体が浮くだろうという気のする、軽い、何かしら匂いのある空気。
「タイメイ」さんは、人をそらさない妙な馴れ馴れしい調子でしきりに僕に話しかける。
「これも何かの御縁ですから」と前置きして自分の身の上話をはじめた。彼には女があると言う。その女は以前島の料理屋で仲居《なかい》をしていたんだが、その女と仲よくなったために、その間《かん》島におれない事情ができて、(「タイメイ」さんは話の間に「その間《かん》」という言葉をさしはさむ癖があった。別に必要でないところにも使うし、また説明しにくいところは「その間《かん》、いろいろの事情がありまして」と、うまく、するするといくらでも話をつづけるのであった)女といっしょに東京に出た。だがその女とも今は別れた。「女は今伊豆伊東町○○町○番地○○方にいて、まだ時々手紙をよこしますがね」と、こちらで訊きもしないのにそんな精《くわ》しいことまで喋って、今度は仕事の話になって、自分は指物師としていい仕事をしたい、幸い島は桑の本場だし、数少くともいい仕事をして暮すにはやっぱり島が都合がよいので、病気のためもあるがそう思って帰ってきた。ところが東京の店の主人が自分をひきもどそうとしてなかなか仕事道具を送ってくれないので困る、というような話をちっとも倦《あ》きさせないで長々と喋るのである。それからまた病気の話になって、
「毎日人に会うのがいやで寝てくらしますよ」
と言う。ぶらぶらしていると島の人は、何だ遊びほけていると言うし、仕事をしようにも道具はないし、叔母さんの家にいるのだが、
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