その叔母は起きているとしょっちゅう何かしろと言うし、ひる日中朝から晩まで床の中にもぐっている。――
「まったく、あなたの前ですが、面倒くさいから死んでやろうかと思いますよ」
 と、彼は突然なげやりなほんとうに怒ったような調子で言った。彼の話はなにしろ流れすぎるので、どこからどこまで真《ま》にうけていいかわからなかったが、その瞬間の彼には「タイメイ」さんでもなく、「中島泰明君」でもない、何か別の、孤独に苦しんでいる男が見える気がした。そういえば、出発の前日に時間をうち合わせに彼のいる家を訪ねて行ったが、それは午後の二時ごろだったが、部落から小さいわき路を上って行ったところにある、高手ではあるが山蔭のようなところの、古い傾きかかった家で、彼は雨戸をたてきった真暗い部屋に寝ていた。そして叔母さんという人が彼をよび起すと、彼はのそっとして炉ばたに出てきて、僕といっしょに茶を啜《すす》りながら、永いこと黙っていた。傍には叔母さんが坐っていた。そのときの彼にも、前日に見たいくらか浮調子なへらへら微笑《わらい》がなくて、どこか「恐わい」ものを自分の中に抱いて生きている男の様子があった。
 だが、そういう苦渋《くじゅう》な様子はほんのちょっと現われるだけで、すぐまた、元の陽気な馴々しい「タイメイ」さんにかえるのである。今もそれで、彼はひととおりの身の上話を終ると、少し黙って歩いた後で、いきなり僕の傍から二三歩ぎょうさんにとびのいてみせて、
「ずるいや、あなたは。他人《ひと》にばっかり話をさせて。いやじゃありませんか。少しはあなたのことも話して聞かせるもんです」
 と言うのだった。
 僕はいつの間にか「タイメイ」さんに深い親しみを感じていた。そして、できたら彼と同じ調子で僕の身の上話を聞かせてやりたいと思った。だが、僕という男には自分のことを一種楽しそうな調子で人に話して聞かせることはできないのだった。で、僕はあるすまない感情を覚えながら、彼の話の聞役にまわるよりほかはなかった。もっとも、僕が話しだしたら「タイメイ」さんはきっと中途から自分のことの方へ話を横どりしてしまうだろうが。――
 島めぐりの最初の日は三里ほど歩いて阿古《あこ》村という部落で一泊する予定だった。「タイメイ」さんは路々阿古村の娘たちの話をして聞かせた。ちょうど途中の伊豆村というところで大きい風呂敷で包んだ荷箱を背負《しょ》ってくる娘さんに会った。「タイメイ」さんは彼独特の気軽な何だかからみつくような馴れ馴れしい調子で「やあ」と言って、それから何か話しかけた。紺絣《こんがすり》を着たその娘さんは体《てい》よく挨拶して、路の傍の駄菓子屋へ寄った。阿古村にある菓子製造所の娘で、ああやって卸《おろ》して歩くんですよ、とのことだった。また、途中で三人の小娘が荷を背負って行くのに追いついたがこの娘たちは阿古村から専売局の出張所のある神着まで煙草の買入れに来たかえりなのだ。
 僕は朝方出がけに檜垣のいる出張所でこの娘たちを見たので覚えがあった。「タイメイ」さんは彼女たちの後姿を見かけると、きゅうに足をはやめた。そして、何かとからかいかけた。まだほんの十四五歳ぐらいの娘たちは顔を見合せて、紅くなって笑うばかりだ。僕は彼女たちがいくらか当惑しているのを見ると、「タイメイ」さんを娘たちから引きはなそうと思って、気づかれないように足を速めたので、間もなく娘たちは後になったが、「タイメイ」さんは時々うしろを振りかえっていたが、ふいにニヤニヤして僕の顔を見上げ、「阿古村というところは村の娘が宿屋へ遊びに来ますぜ」と言った。
 やがて、その辺は丘陵の皺が入り乱れて路は石ころだらけの、両側は雑草と雑木林で、その間を深く切りこんで下る急な坂路だが、きゅうに海の真上に出たかと思うほど切りたった崖縁の上を曲ったとき、前方にそれもすぐ眼の下にその阿古村が現われた。そこは島へ来て始めて見るやや平地らしい平地で、それも東側は高い崖なんだが、西方へ向って開けた土地に、ほとんど崖のつけ根から海ぎわまで、低い瓦屋根がぎっしりとつまって、それも強い西風を防ぐための石垣の間々に家々はまるで背をちぢめてかたまり合っているかのように見える。
 天気はよかったが、現に今も西風が吹いていて、それもそう強くはないのに、海から打ちつける浪のしぶきが、部落の縁の真黒い岩々の上をうすい煙のように匍《は》っているのが見えた。神着の部落とちがって、ここでは家々もそう頑丈《がんじょう》でなく、何か剥《む》き出しな荒々しい空気が部落の上を通っていた。大きい石で畳んだ路が、日に照らされて艶々《つやつや》して、何だか滑《すべ》っこい工合に町の中へ上っている。しばらくして、僕たちはその方へ降りて行った。
 その夜、部落に婚礼があるというので、僕は「タイメ
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