イ」さんにつれられて見物に行った。宿屋の外へ出ると、そこは例の石畳の路だ。そこを爪先上りにのぼって行くと、上手から人影が三つ四つ下りてくる。話声で年配のおかみさんたちだとわかる。擦《す》れちがいざまに顔をのけぞるようにして僕たちをまじまじと眺める。瞬間ぴったりと黙っているのだ。そしてやりすごしておいてきゅうにかたまって、夜目なのでよくわからないが袖でのどもとを隠すように前屈みになって、がやがや言いながら下りて行く。また前方から誰か来る。すぐ近くに来るまではそれが男だか女だかよくわからない。どの人影も擦れちがいざまに、透《すか》し見る様子をする。ところどころの角や軒下なんかに、二三人黒くかたまっているのもある。そういう人影は行くにしたがって多くなってきた。婚礼のある家の前あたりには、そこらの暗らがりにどこにでも一人や二人の人影が見えないところはない。みんなひそひそ話している。時々大きい声がするのは、子供がきゃっきゃっ叫ぶくらいのものだ。婚礼のある家は、雑貨店らしく、それらの品物を容れた棚が見える。店にはランプが一つともっているきりで、その下で赭《あか》ら顔のでっぷり肥った男が袴をはいて坐って、時々表の方の人影を意味ありげな笑いを含んだ眼で眺めている。
 その家の前にちょっとした空地があり、半鐘を吊した梯子《はしご》が立っている。そこの石垣に身をもたせかけて、僕と「タイメイ」さんとしばらく待っていた。ひる間にくらべるとだいぶ風が出てきたので、寒いくらいだ。僕はそのときやっと気がついたのだが、部落の路には明りが少しもなかった。そして、真上には暈《かさ》のかかった大きな月が出ていた。人の顔がはっきり見えないながらも、とにかく部落の中を歩いてこられたのはそのためだった。ずいぶん待った。婿入りだということだが、その行列はちっとも来ない。いつのまにか僕たちのまわりには十三四歳の女の子たちが集まっていた。前へはけっして来ない。時々、まるで魚の列から一二匹気まぐれなやつが横へ流れをつっ切ってゆくように、一人二人がわざと僕たちの前をすっと通り抜けてはかえってくる。そしてもとの群へかえるとくつくつ忍び笑いをするのだ。中には月をいっぱいうけて顔をさっとつきだして逃げるのがある。その群は向うの暗がりへ行ったり、また僕たちの背後にそっと近よったりした。
「タイメイ」さんは、まだ始まらないから少しそこいらを歩いてこようと言うので、部落の先きの方へ出かけた。僕はどこをどう歩いているのか少しもわからない。ただいちようにうす明い、暗がりのたくさんある部落の間を、一種興奮した心持で「タイメイ」さんについて行った。
 路々あのいきなり暗いところから現われてすっと通りぬけるような人影に会う。でも、いくらか慣れたせいで、僕にもそれが男か女かの区別くらいつくようになった。相手を見きわめるようにぬっと来るのは男で、女はたいてい音をたてないようにして前屈みに速く歩く。「タイメイ」さんは、擦れちがうのが男だとけっして近よらないが、女だと他の男がやるようにぬっと傍へよって行く。大部分は顔見知りとみえて何かしら話す。「タイメイ」さんはまるで僕のいるのを忘れたように忙しかった。そしてかならず「○○館に泊っていますからね、遊びにいらっしゃい」とつけ加えるのだった。
 とうとう部落外れのようなところへ出た。そこらはいくらか路が高手になっているせいかきゅうに月の光りがはっきりして見えた。桃の花が鮮かに咲いていた。戸を閉めきった、庭先きの地面だけがあかるい家の前へ来ると「タイメイ」さんは、ちょっと、と言いおいて小走りにその家の前へ行き、戸を叩いてもう眠っているのを起した。何の用かと思っていると、「もし、もし、タイメイですよ。たま子さんはもうお休すみですか」と言うのが聞えた。僕は少しあっけにとられた。あんなことを言って娘を夜遊びに誘ったりして家の人に怒鳴られやしないかと思った。するうち戸が開いて、母親らしいのが顔を出した様子だった。別に怒られもしない。何か話してる。
「ああそうですか、おやすみのところをすみませんでした」と、「タイメイ」さんはいやに叮嚀《ていねい》に言って引き返してきた。もうかえるのかと思っていたらまた別の方へつれて行った。そして、やはり寝ているのを外から呼び起して、
「もし、もし、飴玉三十銭ほど明日までにこしらえておいてください」
 と言う。家の中からは、もう自家《うち》ではこしらえていません、というようなことを返事している。
「あ、そうですか」と、「タイメイ」さんはまた気がるに引きかえしてきた。そして、
「今の家、けさ来がけに菓子箱を背負った娘さんに会ったでしょう、あの家ですよ」
 と言う。それであんなことを言って様子を探ったんだな、と思った。僕は、のこのこ「タイメイ」さん
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