について部落じゅうを歩いたが、何だか「タイメイ」さんのおかげでうっかりすると恥をかきそうだな、と気がついた。こんなに娘ばっかり探して歩くなんて、なんだか犬みたいな気がする。僕は、「タイメイ」さんがまたどっかへ行こうとするのを断って、さっさと宿屋へかえった。
 翌朝目ざめるとひどい吹き降りだった。一日じゅう閉じこめられていると、夕方になって一人の娘さんが、「タイメイ」さんを訪ねてきた。それは昨夜寝ているのをたたき起した農家の娘さんで、「タイメイ」さんが東京にいた時分やはり上京して女中奉公をしていたとかで、話の様子では「タイメイ」さんの世話にいろいろなったらしい。また、彼女がちょっと立った間に、この娘さんは今恋愛でなやんでいる、その相手は神着の妻子のある四十過ぎた、島で一番古い家柄の主人であること、そのために、いっしょになるわけにも行かず、別れることもできずちゅうぶらりんになっていることなど聞かされた。その人は僕も檜垣のところで会って知っていた。「タイメイ」さんは病気で禁酒だと言っていたが、欲しそうな様子もあるので、すすめるとよく飲んだ。この晩もそうで、飲みかつよく喋る。娘さんはお酌をした。
「なあ、お前、よくよく考えてだね、ひとつこの私に任かせてちょうだい。私に考えがあるから、ひとつ任かせておくれ」
「なにを任かせるんです。何も任かせることなんかありゃしない」と、娘。
「えへえ、そんなことを。まさかお前もこのまま牛の尻を追ったり山へ芋掘りに行ってばかりもいられまい」
「私は山が好きですよ、村はうるさいからね。山へ行ってる時がいちばんいい。牛の尻を追ったって、そんな暮しはちっとも悪いなんて思いやしない」
「まだ、あんなことを言う。そんなこと言っているとまた猫イラズだよ」
 娘さんは笑いだした。東京に女中奉公していたとき、猫イラズをのんだという。
「どうってねえ、どういう気もないのよ。つい変な気になってねえ、のんだところがまずくてまずくて、吐きだしちゃった」
「あれですからね」
 と僕の方をむいて、また
「だいたいお前さんも変った人だよ」
 娘はしばらく黙っていた。それからふいに、
「あアあ、私なんだかちっともわからない」
 と言った。そのときの娘の眼にはある閃《ひら》めきがあり、どっかに猫イラズを前にした時の彼女の姿が感じられた。
 翌朝出発する前に、娘さんは搾《しぼ》りたての牛乳をわざわざ持ってきてくれた。
 僕と「タイメイ」さんとはその日途中の坪田村で一泊し、ぐるりと島を一まわりして神着村にかえった。

 それから間もなく、僕は阿古村の中だが部落からさらに一里ほど西南方の、あたりにはほとんど人家のない農場へ移った。島めぐりのときにその場所を見つけたのだ。檜垣は僕を神着村にひきとめておきたいらしく、いろいろ部屋の都合など聞き合わせてくれたが僕はとうとう我がままをとおして阿古村へ行った。一つには今度の場所が気に入ったのでもあるが、神着には檜垣をはじめ知り合いもだいぶできたし、僕は自分の孤独を邪魔されるのを恐れたのだ。檜垣には何も言わずにおいた。僕は自分でも説明のできない誰にも言いたくない心の状態にいた。いろいろ人に訊かれたり、檜垣にも訊かれたりして、眠れない病気だと言って片づけた。事実そのとおりで、他人にはそのほかに言うことはない。だが、僕の内部ではそれではすまなかった。病気はよくなったり悪くなったりして二年近くつづいていた。峠は越したように思われたし、僕もそれを望んでいたが、しかしそれはわからない。嫌やな嫌やな奴だ。それは人間の顔をしている時もあるし、千人くらいを一つにした形容のできない厖大《ぼうだい》な顔のときもある。いちばん僕を苦しめたのは、これまで僕に親しく見慣れてもい、明瞭であったこと、物、すべてが確実でなくなり、ぼやけ、信じていい境と信じなくてもいい境とがいっしょくたになり、夢と覚めているときとの感覚が同じものになり、最後には自分の肉体感まで失われたこと、そして何より悪いことにはこれらの種々の混乱がその微細《びさい》な点から全体にいたるまでいちいち明瞭きわまること、それはかつて健康であったときに感じていた明瞭さとは全然性質を異にした、そいつに見舞われるといきなり叫び声を上げずにはいられないような、そんな明瞭さであった。
 僕はすっかり疲れて、これから先き自分がどうなるだろうということさえ考える力を失っていた。僕はただ待っていた。何かやってくるだろうと。それが何だろうと、今までしかたがなかったと同じように、そいつに身を任かせるよりない。
 新しい場所に移ってから天気は徐々に定まった。毎日温かい日がつづいた。もうどこを見てもいっぱいの若葉だった。僕のいるところは原地農場という、牛を七八頭飼っていて、バタをつくっている。家の
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