が、科学的に果してどんな役割をつとめたものか種々研究してみたが、けつきよく、内部の湿度と温度保有に関係があるらしい、そして、この暗さは、昔から焔の色を見て勘だけで作業をした、そのためにも必要だつたらう、といつてゐた。
建物は上途の理由で取払はれたが、炉はそのまゝ残つてゐた。「蹈鞴」とはその字の示すごとく、鞴《ふいご》による送風装置が、特殊な形をした炉の両側についてゐるので、木炭をつかつて低温直接製鉄法によつて玉鋼をつくるのださうである。
この古式そのまゝの「たゝら」は近代式な炉よりもはるかによいさうで、これでないとどうしても優良な鋼ができない由。そして、一吹きに四昼夜を要し、一塊となつて炉底に残る鋼は、これを別の粉砕場へ持つて行つて砕き、その断面を見て、玉鋼とか砂味鋼とかに分類するのだといふ。その粉砕場は,これも甚だ原始的な操作で、木組の中央には上から特殊な突棒が下り、どすんと落下させて砕くのである。
こんな工程によつて作られる一見甚だ単純な玉鋼は、古来日本刀の原料として使はれてゐるので、これは出雲とはちがふが、やはり地域的にはこの地方と隣接した伯耆の有名な印賀鋼は特に優秀とされてゐる。古刀で周知の安綱、真守は伯耆の大原邑の出であり、山を越した山陽側の備前長船にはやはり名匠を多く生んだことも当然であるかもしれない。現在でも、玉鋼は日本刀及び特殊方面に有力な原料となつてゐる由である。
布部は、中海沿岸の荒島といふところから電車で広瀬まで来て、それから更にバスで数十分飯梨川の上流に沿つて山間に入つたところに在るが、途中の広瀬から荒島にかけての平野は、低い山並みの向うに大山が見えて、いかにも美しいところだ。
平野といへば、宍道湖以西の簸川平野も、一方は湖、片方は海にはさまれたのびやかな明い所であるが、そして、その附近では秋から冬にかけての烈しい西風を防ぐために、農家といふ農家はどれもこれも松の防風林にかこまれ、しかもどういふわけか、きちんと四角に刈りこんでゐるので、遠方から見ると、広い田の中に黒緑の四角なものが点々としてゐて面白い異風景をなしてゐる。防風林は必ずしもこゝだけに限つたことではないので、武蔵野でも農家は高い欅だの杉林の中に屋根を蔽はれてゐるが、簸川平野のやうに刈りこんだのは珍しい。それも殆ど松にかぎられて、あれだけの立木を全体に四角に刈りこむのは容易
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