は単にその外形であり、彼はこの町の住民ではなかつたとさへ思はれるのであつた。
 今日幾人かと会つて口を利いただけで、彼は自分が今はじめて河原町での医師になつてゐるのを感じた。それはまだ形ができてはゐなかつた。だが、彼の足は今河原町の土を踏み、彼等が房一を認めると否とにかゝはらず、否応なくその相手になつてゐなければならなかつた。この短時間のうちに得た小さな発見は、何故か房一の胸に或る落着きを与へた。
 今、彼の目の前には大石医院の塀づくりの家が立つてゐた。その家は彼が借り受けたあの古びた家とふしぎに似通つてゐた。ちがふのはもつと大きやかで、手入れのよく届いてゐることだつた。築地の壁土は淡黄色の上塗りが施され、一様に落ちついた艶を帯びてゐた。そして、玄関に向ふ石畳は途中二つに分れ、右手は別建の洋風な診察所につづいてゐた。房一は瞬間どちらへ行つたものかと思つたが、左手によく拭きこまれた玄関の式台を見ると、まつすぐその方に進んだ。
 二三度声をかけたが返事がなかつた。すると植込みの向ふの診察所の入口に白い服を着た看護婦の紅らんだ顔がのぞいて、すぐに引きこんだ。と思ふと、どんな風に廻つたのかしれ
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