だらう、それから自分はどんな風に話を切り出したものだらう。「はじめまして」もをかしい、二人とも全然知らぬ間ではないのだからな、「しばらくで御座いました」と云ふかな、これもどうも変だな、――それからまだ言葉にはならない、いろんな言葉を頭の中で云つてみた。相手が頭を下げる、こつちもお辞儀をする、そんな恰好がひとりでに頭の中を横切つたり、消えたりした。房一は漠然と興奮してゐた。
だが、当の大石医院へ行くまでに何軒かの家に寄り、何人かの男に会つて口を利いてゐる間に、房一は或る気持の変化を感じはじめてゐた。それはかうだつた――彼は自分の生れたこの土地については、一から十まで知つてゐるつもりでゐた。河原町といふものが、そこに住んでゐる人達が漠然と一かたまりになつて、云はば机の抽出に蔵ひこんである手帖のやうに、すぐその所在を確められるものとして感じられてゐたのだが、今日はじめてその一人一人にあたつてみると、今まで考へてゐたものとは可成りにちがふ何かしら別のものが思ひがけない感じで房一の顔を打つた。云つて見れば、彼は河原町の住民になつたのを感じた。これにくらべれば、彼が今まで感じてゐた河原町そのもの
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