スりした。そして、四月二十日倫敦出帆のH丸ということに、大体心組みを立てたのである。
が、帰国のことだけはナポリで決定したものの、全|欧羅巴《ヨーロッパ》を歩きつくすためには、私たちの前には、まだ残っている土地がある。で、早々に伊太利《イタリー》を離れた私達は、北上して雪の瑞西《スイツル》に遊び、そこから墺太利《オウスタリー》の維納《ウインナ》に出て、あのへんを歩き廻ってチェッコ・スロヴキアへ這入り、プラアグに泊り、それから独逸《ドイツ》を抜けて巴里《パリー》へ帰ったのが三月末だった。巴里は以前に二、三度来ているので、旬日滞在ののち倫敦へ渡って、古本の買集めや、見物の仕残しを済ますために日を送り、やっと二十日のこのH丸に間に合ったのだった。
切符も買い、支度も調い、暫らくの滞英にも前からいろいろと知友も出来ていたので、そこらへの顔出しも済まして、あとは手を束《つか》ねて乗船の日を待つばかりの心算だったのが、ここに急に思いがけない困難が降って沸いたと言うのは、じつは買い込んだ書籍の発送方についてであった。
というのは、いざ[#「いざ」に傍点]という間際に大工でも呼んで来て見せたら、
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