烽ゥく日本へ帰りたいという気が、私たちには強かった。それが、葡萄牙《ポルトガル》エストリル沖を過ぎる船によって、こうして無意識に刺激されたのだった。
それから、モンテ・カアロで新年を迎えて、一月の末から二月へかけて、私達は南|伊太利《イタリー》のナポリにいた。ホテルは海岸まえの「コンテネンタル」だった。しかも、二階の私たちの部屋の直ぐ下が、あの、海に突き出ている有名な「|卵子の城《カステロ・デル・オボ》」で、その向こうの水面を、ここでも毎日、東洋通いの巨船が煙りを吐いて通った。なかでもNYKの船は一眼で判った。丸の字のついた名の船がよく桟橋に横付けになったり、小雨のなかを出港して行ったり、這入って来たりしていた。ポンペイを見物に行った日などは、あの、狭い石畳の死都の街上で、その寄港中の船の一つから下りたらしい何十人もの日本人の団体を見かけた。すでに漠然と決まりかけていた私達の帰国ばなしは、このナポリで日本の船を眼近に見ることによって急天直下的に具体化したのだった。私たちは、明日にでも帰るような気になって、代理店《エイジェント》へ出かけて、倫敦《ロンドン》横浜間のNYKの航海予告を調べ
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