A四日の朝、東京へ来る特急のなかで、再下附の旅券がないと彼女がいい出した。なあに、もう日本国内だから旅券なんか要らないさと私は威張ってみたものの二度も紛失したんではどうも後始末が厄介である。困ったことになったと些《いささ》か悄気《しょげ》ていると、これは幸いにして帝国ホテルへ着いて当座の荷を解くと、その鞄の一つから現れたのでまずほっ[#「ほっ」に傍点]とした。
 が、いくら呑気だからって、私たちほど忘れ物を商売にしてるようなのもあるまい。そのオリエンタル・ホテルででも、部屋を出る時は一かど落着いてすっかり検分したつもりだったにも係わらず小使《ポウタア》の一人が動き出そうとしている私達の車窓へ葡萄牙《ポルトガル》で買った銀の煙草入れを届けてくれたし、帝国ホテルでだって、いよいよ鎌倉の自宅へ帰る段になって、勘定《ビル》を済まして玄関で自動車を待っていると、そこへあたふた[#「あたふた」に傍点]と部屋付きボウイが私の時計と彼女の帽子を持って駈けつけて来たくらいである。
 この通り、自慢じゃないが、一年半に近い外遊中、私達が諸国各地のホテル・停車場・タキシ内――これが一番苦手だ――その他料理店
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