チて、国籍による必要の保護も、金銭関係の保証も、その他すべて公式の場合には、一にこの緑色の小冊子が日本帝国としての口を利くんだから、天涯の遊子にとっては正《まさ》に生命から二番目の貴重品である。第一、これがなくては英吉利《イギリス》を出ることも船へ乗ることも出来ず、完全に身動きが取れなくなってしまう。それほど大事なものを失《な》くするなんて実に愚《おろか》な話だが、旅行中は虎の子の信用状や現金の英貨――旅行に持って歩くには、五|磅《ポンド》乃至十|磅《ポンド》のいぎりすの紙幣が一番いい。相場によって高低することもすくなく、どこででも簡単に両替出来るから――と同居させてしじゅう肌へつけていたんだが、それが、もう帰国すれば用がなくなるというんでそこらへ投げ出して置いたのが誤りの因《もと》らしい。すっかり荷作りを済ましたあとで、旅券の無いことを発見したのだ。
一体旅行もいいが、出発ごとの|荷作り《パッキング》ほど嫌なものはない。西洋人はいい加減に誤魔化してしまうが、日本人は、日本人らしい丹念さから、細かい隙間まで利用して実に能率的に詰め込む。あまりに能率的過ぎてかえって能率が上らないようだ
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