q《テーブル》の上を色付きの木片が動くだけで、マルガリイダ婆さんは最初から取るものはすっかり取って大安心なのだ。ある者は五十の赤を二枚、または三十の白札で百五十エスクウド分、或いは黒だけ五枚で五十なんかと、どんなに細かく千切《ちぎ》っても大きく纏《まと》めても、札は買える。が、一度|札《テップ》にかえた金はすぐ婆さんのふところへ這入って、それを資本に勝ってテレサを獲《え》ない以上、この家のそとへ持って出たって勿論どこへ行っても金にはかわらないし、お婆さんも札《テップ》の買い戻しだけは金輪際《こんりんざい》しなかった。すると、それにしては、五円・三円・一円なんて安過ぎて大した儲けにもならないような気がするかも知れないが、何しろこれは下級船員間のはなしだし、また、毎晩なかなか人数《にんず》が多い――これにはリンピイの客引きもあずかって力がある――のだから、はじめ二時にどかん[#「どかん」に傍点]と「|賭け札《テップ》」を売った金だけでも、往々にして、この社会ではそう莫迦にならない高《たか》に上ることも珍しくない。それに、負け出してくると、博奕本来の興味と性質からいつの間にか熱くなって追っかけはじめる。だから中途で二度も三度も立って、ぽけっと[#「ぽけっと」に傍点]の底を集めたので新しい札《テップ》を買いに来たり、なかには、飛び出してって波止場附近の酒場に友達の顔をさがしたり、船へ帰って金を工面して来たりするから、何度でもそれらに、金と交換に賭け札を渡していると、一夜の入金にしたところで、時としてなかなか大きくなる。テレサのことなんか忘れて、ばくち[#「ばくち」に傍点]そのものへせっせ[#「せっせ」に傍点]と注《つ》ぎ込む人間が、マルガリイダには何よりも有難いのだ。こうして船員の金はお婆さんへ移り、よそへ持って行っては価値のない木札《テップ》だけが、男から男へ取引きされてるうちに、単純なかるたげいむ[#「かるたげいむ」に傍点]だから興亡は転々として、やがて決勝時に近づく。五時だ。この五時になると、景気のいいものも落ち目のやつも一せいに手を停《や》めて、各自持ち札の総計《トウタル》をとらなければならない。赤一枚を五十エスクウドにかぞえ、白が三十、黒が十のこと札《テップ》面のとおりだ。で、全部の部屋の全部のテエブルを通じて、Aが七百八十二エスクウドで最高位、四百十七のBが次点――なんてことになるんだが、どうせお金で返ってくるんではなし、女もテレサ一人なんだから、そこでその夜の勝ちっ放しAが、テレサの待ってる二階の一室へ上ってくだけで、次点以下はいつも一さい切り捨てだった。この、負けてても勝ってても、正五時A・Mをもって打ちきり、そのときの札数《スタンデング》ひとつで最後のTALKをすることには、さすが博奕に苦労してる連中だけに案外さっぱりしてて、出そうなもの[#「もの」に傍点]言いもあんまり出なかった。それどころか、なかには、一番勝ちの札をぱらりと床へ撒いて、次点者にテレサを譲ってさっさ[#「さっさ」に傍点]と出て行ったりする見上げたSPORTYも現れたりして、この「マルガリイダの家」は大いに色彩的《カラフル》な人生の蛮地だった。もっとも、ときどき五時の決勝になって捻《ひね》ったことを言い出す|解らねえ胡桃《クラムズイ・ナッツ》も飛びだしたけれど、そんなのは大概自治的に客のあいだで押さえつけたし、すこし騒ぎが大きくなると、マルガリイダの眼くばせ一つで、跛足《リンピイ》リンプが大見得を切って例外なく綺麗に取っちめていた。
 そして、明け方の五時から正午《ひる》まで――十二時になるとお婆さんが二階の戸を叩打《ナック》して男を追い出す――こうして、この空博奕《からばくち》に勝ったやつが、白熊テレサと彼女の over voluptuousness を専有し満喫するのだ。甘い物のげっぷ[#「げっぷ」に傍点]と一しょに、いつもの「ふらんす女・涙の半生」を機械的に繰り返しながら、はなし半ばに怒濤のような鼾《いびき》をかき出す可哀そうなテレサ! 何という呪われた大健康と、悲しいまでの肉体への無関心《インデファレンス》であろう!
 垂れたかあてん[#「かあてん」に傍点]から光る海風が流れこんで、リスボンは今日も輝かしいお天気だ。
 この坂の上の魔窟町《バイロ・アルト》へ最初に訪れる「ほるつがるきぬぎぬ[#「きぬぎぬ」に傍点]情緒」は、早朝から真下の裏街を流して歩く跣足《はだし》の女魚売りの呼び声である。
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あう! かしゅうれ!
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 というのは小鯛。
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サア――ルデエイニアス!
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 と聞えるのが鰯《いわし》。
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えいる・えいる!
むしりおううん!
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 は蛤《はまぐり》の大きなの。

     7

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けえいんてす!
い・ぼうあす!
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 これは「HOT・A・GOOD!」で焼き栗屋の売り声だが、そこで、朝のりすぼん港の日課的大合唱は――
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お! かしゅうれ!
さるでえにあす!
えいる・えいる!
むしりおおうん!
けええいんてす!
い・ぼおうあす!
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 AHA! すると、猫・猫・猫――何てまあ古猫・仔猫・野良猫の多いLISBOA!――に、その猫の一匹のような灰色にのろ[#「のろ」に傍点]臭い一日の運転が開始されて、無自覚によごれた群集が街角に立ち話して通行の邪魔をし出し、無自覚な Rua Aurea で銀物屋が鉄の折戸を繰りはじめ、傾斜を這う電車と町なかの大昇降機に無自覚な朝陽が光り、旅行者に乞食と子供が群れて乞食よりも子供のほうがしつこく一文《センテヴォ》をねだり、そこへ|富くじ《ロテリア》売りが札を突きつけ、軒いっぱいに布片地《キレジ》を垂らした羅紗屋の店が何町もつづき、市場をさして豚の列が大通りを追われ、弱そうな兵卒がより[#「より」に傍点]弱そうな士官にだらし[#「だらし」に傍点]のない失敬をし、こわれたTAXIが息を切らして黄色い風を捲きおこし、この奇蹟に驚天動地して狭い往来に雑沓が崩れ立ち、それを見物して巡査はただにやにや[#「にやにや」に傍点]し、その巡査へ現政府反対の八百屋組合から袖の下が往き届き、犬は人を嗅《か》ぎ、植物はほこり[#「ほこり」に傍点]を呼吸し、RADIOの拡声に通行人の全部が足をとどめ、業病と貧困の男女から異臭が発散し、青絵の模様|陶板《タイル》を張った無気味きわまる住宅建築に教養のない顔が出入し、この、大陸の「東部区《イイストサイド》」! 地球上のめにるもんたん[#「めにるもんたん」に傍点]! そして、ふたたび猫・猫・猫――何てまあ宿無し猫みたいな人間と、人間のような棄て猫とがじつに仲好くうようよ[#「うようよ」に傍点]してる無秩序そのものの古河《スワンプ》LISBOA!
 だから、何も|山の手《バイロ・アルト》とは限らない。すこしの冒険心をもって、夜そこらの坂に沿う露地を縫ってみたまえ。くわえ込みの木賃宿 hotel para pernoitar の軒灯がななめによろめいて、ちょうど理髪屋みたいな、土間だけの小店が細い溝をなかに櫛比《しっぴ》している。そして、その一つ一つの入口に、今朝はだし[#「はだし」に傍点]で魚を呼び売りしてたような女たちが、それぞれ木綿レイスの編み物なんかしながら客を待ってるのを見かけるだろう。跣足《はだし》と言えば、ついこの先日まで、漁師やその女房子供は、天下御免にはだし[#「はだし」に傍点]で歩道の石を踏んでたものだが、そこへ急にお達しがあって、以後|跣足《はだし》厳禁、違反者には罰金として鰯《いわし》何十匹を科するなんてことになったので、この連中があわてて靴をはき出したまではいいものの、ところが、何しろ生れてはじめて穿《は》く靴なのでどうも脱げでしようがない。おまけに、考えてもみたまえ! 固い動物の皮で石の上を歩くんだから耐らない。すっかり足を痛くしちまった。それで、この魚売りの女たちが、巡査を見かけ次第穿く用意に、手に靴をぶら下げて街上に立ってるところが新聞雑誌の漫画に出たり、寄席の材料に使われたり、当分賑やかなリスボアの話題だったが、こんなような型の口髭の女まで、夜はここらに出張って来て、酔いどれの水兵でも掴もうと希望してるのだ。人が通ると、レイス編みを中止して何か呪文を唱える、金十エスクウドの相場。戸口からほん[#「ほん」に傍点]の二、三歩むこうに敷布みたいな白い幕が引いてある。そのかげに寝台があるらしい。客がつくと幕をはぐって奥へ入れる。灯油に照し出された小さな土間だ。申しわけにちょっと幕を引くばかりで、もとよりおもての戸なんぞ開けたまんまである。こういう家が、蜘蛛《くも》の巣のような露路うらにびっしり[#「びっしり」に傍点]密生している。ばいろ・あるとよりは、また一段下の私設市場だった。
 海岸へも遠くなかった。夜の波止場では、やはり各国船員の上陸行列に酒精《アルコール》が参加し・林立するマストに汽笛がころがり・眠る倉庫のあいだに男女一対ずつの影がうろうろし・悪罵と喧嘩用具が素早く飛び交し・ふるいINKの海をしっぷ・ちゃんロン・ウウの小舟《ボウテ》が撫でまわり・あらゆる不可能と包蔵と神秘の湾――YES、港だから、毎日船がはいる。そのために来る夜もくる夜も、海岸通り聖《サン》ジュアンの酒場《タベルナ》と|山の手《バイロ・アルト》「マルガリイダの家」にしこたま[#「しこたま」に傍点]お金が落ちて、僕はリンピイの鞄と支那人の顔を提げて新入港の船へ通い、そこへ、あとから夜中にリンピイのおんな舟が漕ぎ寄せ、僕の受け持ちの商品――それぞれにリンピイの細工が加わってる日用品・タオル・石鹸・歯磨き・ないふ・靴下の類――は、彼がじぶんでやっていた時と同じに、小売的商才の皆無な僕なんかが口を利く必要もないほど、それ自体にspeakして面白いように売れて行った。ほんとに面白いように売れていった。この、僕の「しっぷ・ちゃん」の本旨は、これに事よせてリンピイの先達をつとめ、斥候としての報告さえすればいいだけなので、持ってく日常品なんかちっとも売れなくても困らないんだけれど、それが、妙なことには、値段が高いにも係わらず、いつもどの船へ行っても、翼が生えて飛ぶように売れて、僕は必ずから[#「から」に傍点]の鞄と、反比例に充満した財布とを伴《つ》れて陸へ帰るのがつねだった。そして、リンピイの女肉船も、かえりはきまって海のむこうの見慣れないお金で、毎夜の舟あしが重かった――。
 では、どうして石炭みたいに無口な支那公《チンキイ》の僕でさえ、とよりその僕に関係なく、リンピイのしっぷ・ちゃん商品に限ってそんなに売れたか? それほど自力で捌《さば》けて往った手品の種は?――何でもない。
 1 マルガリイダに内証でいつ写したものか、リンピイは、品物の一つ一つに、例の白熊テレサの裸体写真や、それから、テレサと黒輝石のような印度《インド》人の火夫との春画しゃしんやなんかを上手にひそめていた。タオルには折ったあいだへ、石鹸や歯みがきは包み紙に、小刀《ナイフ》には柄《え》へ飾り、靴下はなかへ落し、その他の小箱類には蓋の内側へ貼りつけたりして。
 2 鶏の交尾してる小さな焼物。一種の護符《タリスマン》的置きもの。これは巴里《パリー》のサクレキュウルのそばでも売ってるが、じつは日本出来である。どうやら、どんどん日本から輸出されてるらしい。
 3 用便中の婦人の像。小指のさきほどの大きさ。同じく「|好運呼び《ポルト・ボンヌウル》」のお守り。ブラセルの産。
 4 |悪魔の拳《フィガ・ド・デアボ》。これは有名な葡萄牙《ポルトガル》の国産品で、やはり迷信的な厄払いのひとつだ。振りこぶしの人さし指と中指のあいだから拇指《おやゆび》のあたまを覗かせたもので、形は小さい。女中も売春婦《プウタ》も奥様も紳士も、
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