ヌ・水上警察・税関よりも先に、逐一この|女魔が丘《バイロ・アルト》の窓に知れてしまった。地獄《ダン・ビロ》の釜に火がはいると煙突のけむりが太くなって、出帆旗は女たちも心得てる。すると、あのNAJIMIの男がまた|闇黒の海《マアル・テネブロウゾ》へ出てくるところだというんで、ばいろ・あるとの一つの窓で、ひとりの女《プウタ》が、ひょっ[#「ひょっ」に傍点]と浮んだ彼の体臭の追憶のなかで思い出し笑いにふけっていようというものだ。船乗りはみんな恋巧者である。一度会った女に決して忘れさせはしない。だから、黒地に白の出港旗を見つめる女たちの眼には、めいめいの恋人を送るこころもちがあった。が、出帆の時は、これでまだいい。新入港の船がテイジョ河口の三角浪を蹴立《けた》てて滑りこんで、|山の手《バイロ・アルト》の家々の窓掛けを爽やかな異国の風がなぶると、週期的活気・海と陸との呼応・みなとのざわめき[#「ざわめき」に傍点]が坂の上の町一帯に充満して、彼女らはゆうべの顔へまた紅をなすり、七面鳥マルガリイダ婆さんは一そうがんがん[#「がんがん」に傍点]喚《わめ》いて家じゅうを駈けめぐり――さあ! お部屋の用意は出来てるかい? 何でもいいから花を取り変えてお置きって言うのに! お船の人は家庭らしい空気が好きなものだから。それから掃除! リンピイ! おや! リンプ! どうしたんだろうまああの人は――しかし、テレサにだけは急に眼立って御機嫌を取り出して――テレサや、今夜も強い好い人がわざわざ海を越えてお前んとこへ来るんだよ。テレサや、お前は一たい、帆桁《ほげた》のような水夫さんか、手の白いボウイさんか、それとも黒輝石みたいな印度《インド》の|釜たき《ファイアマン》さん? どんなのが一番好きでしたっけ? わたしの可愛いお猫さんのように、さ、お湯をつかって支度をしましょう――といった調子なので、テレサはテレサですっかり[#「すっかり」に傍点]ふくれ返って、その巨大な北極熊みたいな全身へ万遍なくおしろいを叩きはじめる。この裸体のお化粧は、何もテレサひとりの個人的趣味ばかりではなく、「マルガリイダの家の」一 attraction として大いに事務的必要があったのだ。
テレサは、僕の知る限りにおいてすこし「|二階がお留守《ノウバディ・アップステアス》」――頭がからっぽ[#「からっぽ」に傍点]――だった。さもなくて、ああのべつ幕なしに甘いもの――名物こんぺいとう・乾し無花果《いちぢく》・水瓜《すいか》の皮の砂糖煮・等等等――を頬ばっていられるわけがなかったし、そのため、今にもぱちん[#「ぱちん」に傍点]と音がして破けそうに肥っていたが、そのうえ、恐ろしいまでにあらゆる無恥と醜行に慣れ切っていて、いかに同情をもって見ても、この女にはいささか病的に欠如しているものがあった。それでも、港々の売春婦《プウタ》なみに彼ら社会の常識だけは心得ていて、自分ではちゃあん[#「ちゃあん」に傍点]と仏蘭西《フランス》生れと名乗っていた。そして、何と素晴しいふらんす語をこのふらんす女の白熊テレサが話したことよ! 「めあすい」とジョンティ・ミニョンとこむさ[#「こむさ」に傍点]と「ねすぱ?」と! これでも判るとおり、彼女は生え抜きの――流行雑誌のもでる[#「もでる」に傍点]と、一九二七年度の巴里《パリー》の俗歌以外には仏蘭西なんかその smell も知らない――ほるつがる人で、現に、「|太陽の岸《コスタ・デ・ソル》」サン・ペドロの村はずれで馬の爪へ鉄靴をはかせる稼業をいとなんでる父親が、二週間に一度のわりで小遣いをせびりに出市していた。が、なぜこう、売春婦という売春婦が、売春婦になると同時にふらんす女――ことに巴里《パリー》から流れてきた――をもって自任し出すんだろう? 眼の黒い女・碧《あお》い女・茶いろの女・髪の毛の黒い女・それほど黒くない女・むしろ赤ちゃけた女――要するにすべての女が、すこしでも外国めいた点地《タッチ》があると人工的にそこを強調し、どう探しても無いやつ[#「やつ」に傍点]は無理にも作って――自由な自国語を商売のときだけ御丁寧に不自由らしく片ことで話したりなど――どれもこれも、先天的器用さをもって仏蘭西《フランス》うまれに化けすましてしまう。だから、ふらんす以外の土地で、売春婦というと、片っぱしから自称ふらんす女・巴里おんなにきまってる。近いためしが、このりすぼあ[#「りすぼあ」に傍点]のバイロ・アルトだけでも、テレサを筆頭に、何と多くの葡萄牙《ポルトガル》の女が、チェッコ・スロヴァキアの女が、波蘭土《ポーランド》の女が、ぶるがりあの女が、揃いもそろって仏蘭西生れ、巴里うまれであったことよ! この売春婦の非公式ふらんす帰化の心理には、いくぶんそこに、じぶんの行為によって自国の名誉を傷つけたくないという少しの愛国的作用も働いてることだろうし、それに、外国の女となると、べつの現象《スペシメン》に対するように男の好奇心が沸き立つところをも、彼女らは経験によって捉えているのであろう。第一、遠い国から来てると言えば、自然そこに「告白物語・涙の半生」――これでもじぶんも元は「銀の匙《さじ》を口」に巴里の名家に長女と生れた身の上だったが、二十歳の春に、十も年上のゆだや人が黄金と将来と結婚指輪とをもってわたしの人生へ侵入して来た。そうしてあの退屈な「|炉ばたの生活《ファイアサイド・ライフ》」が何年かつづいたのち、ちょうど例の結婚倦怠期に当って the War broke out。毎日々々隣近処の若者が戦線へ消えて、重い靴の音が、長いながい列を作って窓の下につづいていた。戦争とそのあとの、あの誰でもが嘗《な》めた恐怖《パニック》。良人《おっと》の商業は犬へ行った。紙幣を焼いて暖をとった。その最中に夫アイザックの病気と死! 残されたわたしはどうして食べたらよかったろう? そのうえ、黒はいつもわたしによく似合う。洒落た喪服姿が完全にわたしをそのころ巴里《パリー》をうずめつくした「大戦未亡人」のひとりにして、戦後のゆるんだ気もちのなかで、男たちの同情と誘惑の手が一時にわたしに集まりはしなかったか? もちろん当時わたしは、この地球上にあなたのような親切な方が自分のために存在しようとはDREAMにも知らなかった。And the result ? Here I am. Just look at me now ! なんかと言ったような、大同小異千遍一律の身の上ばなしも出来るわけで、事実、毎夜々々の寝台で、そも何人のぷうた[#「ぷうた」に傍点]が、そも何人の異国の水夫に、めいめいこの「あわただしい戦時の巴里」を背景に最後は必ず「親切なあなた[#「あなた」に傍点]にもっと早く会わなかった」ことを残念がる打明け話をうちあけたろう! この浪漫さ! ここは何とあっても仏蘭西《フランス》女でなければ出ない色あいだし、おまけに、ふらんすの女とさえ言えば、妙に扱いの上手な経験家のように一般に信じられているので、そこで、みんな争って勝手に仏蘭西の国籍を主張するんだけれど、おかげで、婦人用手袋と香水と葡萄酒と売春婦だけを一手専売に輸出してるように思われてる肝心のふらんすこそ、好い面《つら》の皮だ。もっとも、ほんとに仏蘭西製のこの種の豪の女《モノ》が世界じゅうに散らばってることも満更《まんざら》うそ[#「うそ」に傍点]じゃあないんだが、その多くは、女中つきで倶楽部《くらぶ》なんかに出没するグラン・オペラ的な連中で、このぽるとがる国リスボン市ばいろ・あるとあたりで船乗りの相手をしてる「ふらんす女・巴里《パリー》っ児《こ》」は、テレサをはじめ、このとおり十中の十までFAKEである。へんな話だが、こんなことで国際聯盟あたりが仏蘭西に嫌味を言ったりするんだから、ふらんすにとっては飛んだ迷惑だろう。だいたい仏蘭西の女、ことに巴里女《パリジェンヌ》なんて、そんな原始的に荒っぽい冒険家じゃあないんで、たとえば巴里市内の娼婦だって、大部分はチェッコ・スロヴァキアの女・波蘭土《ポーランド》の女・ぶるがりあの女・葡萄牙《ポルトガル》の女なんかなんだが、それらのすべてが、この「自称ふらんす女」と同一の心理と理由から、本場の巴里では、言い合わしたようにことごとく「西班牙《スペイン》女」と自己広告することにきめてるから、面白い。つまり巴里の売春婦で眼の黒い女・碧い女・茶色の女・髪の毛の黒い女・それほど黒くもない女・むしろ赤ちゃけた女、要するにすべての女が、すこしでも外国めいた点地《タッチ》があると人工的にそこを強調し、どう捜しても無いやつ[#「やつ」に傍点]は仕方がないから無理にも作って――自由な仏蘭西《フランス》語を商用としてだけ御丁寧に不自由らしく片ことで話したりなど――どれもこれも、先天的俳優能力をもって器用にすぺいん生れに化けすましてしまう。だから仏蘭西の名誉としちゃあ、ここでまあ幾らか帳消しになる勘定かも知れない。BAH!
ところで、問題は「ふらんす女」テレサだが――。
そのテレサが、身体《からだ》ぜんたいに白粉《おしろい》を塗りこむ。
何のためにそんな莫迦《ばか》なことをするかというと、「マルガリイダの家」では、船員を招いて博奕《ばくち》をさせ――これはいつも船乗りらしい簡単な歌留多《かるた》の勝負にきまってたが――そして単に賞品として、勝った男に一晩のテレサをあたえるという組織だったから、言わばテレサは、この場合一個の物品に過ぎない。したがって、それを目的に金を賭けるくらいだから、客のほうも前もって詳しく現物を見ておきたい。なんかと権利を主張するかも知れないし、マルガリイダ婆さんはまた、はじめに調べてもらわないと気が済まないなどと体《てい》のいいことを口実に、じつは、ただテレサの皮膚で一そう男たちの賭博心を焚きつけるための手段にすぎないんだが、その夜の客が詰めかけてるところ、からだ中に化粧をしたテレサを真っぱだかにして、「はい、これで御座います、HO・HO・HO!」なんかと挨拶に出すのだ。恐ろしいまでにあらゆる無恥と醜行に慣れ切ってるテレサが、その白熊みたいな莫大な裸形《らぎょう》と濡れた微笑とを運び入れて、そこで明光のもとに多勢の船員たちからどんな個人的な下検査を、平気で、AYE! むしろ大得意で受けることか。そして唯々諾《いいだく》としていかなる姿態《ポウズ》をこの半痴呆性の女がとって見せるか? つぎにまた、それによって刺激された船乗りたちが、何と、この女を所有するためなら「|血だらけな《ブラッディ》」給料の二、三個月分ぐらい前借しても構わない旺盛さをもって、ばくち[#「ばくち」に傍点]に熱中し出すか――それは電灯と、偉大な舞台監督マルガリイダと and GOD・KNOWS!
「マルガリイダの家」は、ばいろ・あるとの一ばん奥まったはずれだった。白っぽい石壁に赤瓦《あかがわら》を置いた、そこらに多い建物のひとつで、這入ると、正面の廊下を挟んで左右に幾つも小さな部屋が並んでた。それがみんないわゆる歌留多《かるた》場だった。どんなにお客が来ても、夜中の二時まではお酒を売って――これがまたマルガリイダの儲けだったが――釣っておいて、二時かっきり[#「かっきり」に傍点]に、例のテレサのお目見得を挙行する。それが済むと直ぐ、マルガリイダが「|賭け札《テップ》」を売り出す。これは赤・白・黒の三種に塗られた円い木片で、赤のが五十エスクウド――約五円――白は三十エスクウド――ざっと三円――一円どこの十エスクウドのは黒の札《テップ》だった。つまり、どこの博奕場とも同じに直接現金でやり取りするんではなく、一応はじめに金をこの「|賭け札《テップ》」に更《か》えて、これで勝負を争うのだ。そしてあとで清算してそれぞれまた現金に直すわけだが、ここでは、いくら馬鹿勝ちしたって一文にもならない。そのかわりテレサを取る。言わば、金を札《テップ》に換えてやった額だけ、そっくりそのまま家《ハウス》の所得なんだから、誰が勝とうが負けようが、あとは卓
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