踊る地平線
しっぷ・あほうい!
谷譲次
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)葡萄牙《ポルトガル》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)市の|山の手《バイロ・アルト》に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)※[#濁点付き平仮名う、1−4−84]
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)裏にかくれた 〔e'rotique〕 であつた
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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1
葡萄牙《ポルトガル》のリスボンで、僕はリンピイ・リンプと呼ぶびっこ[#「びっこ」に傍点]の英吉利《イギリス》人と仲よしになった。
リンピイは海から来た男で、そしてPIMPだった――あとで解る――それはいいが、ついうっかりしてるうちに僕も捲《ま》き込まれて、その跛足《リンピイ》リンプの助手みたいな仕事をしなければならないことになった。これも詳しくは「後章参照」だが、早く言えば、毎晩僕が夜の埠頭《ふとう》へ出かけて古いINKの海を眺めてるあいだに、いつからともなくこのリンピイと知り合いになったというだけなのだ。
ほるつがる――種が島と煙草と社交病を日本へ紹介した国。
日本――葡萄牙《ポルトガル》。
東の果てと西のはずれ。
地理的には遠く、歴史的には近い。
両国共通の言語でちょっとこんな判じ物みたいな小景《スナップ》が出来るくらいだ。
[#ここから1字下げ]
彼は Raxa《ラシャ》 の「まんと」の「ぼたん」をかけていた。彼女は「石鹸《さぼん》」で洗ったばかりの「かなきん」の襦袢《じゅばん》「〔Jiba~o〕」に、「びろうど」Veludo の着物をきていた。「びょうぶ」の前に、ふたりは「さらさ」Caraca の座ぶとんを敷いて、Carta「歌留多《かるた》」をしながら飲んだり食べたりしていた。が、彼はあんまり「ふらすこ」のお酒を「こっぷ」で呑んだし、彼女が Pao「ぱん」と「こんぺいとう」を Tanto「たんと」食べ過ぎるので、お互いに嫌《いや》になって離婚した。[#地から3字上げ]FINIS
[#ここで字下げ終わり]
といったように、これだって君、あの、この頃産業的に需用の多い「朝飯《あさめし》の食卓で焼麺麭《トウスト》・卵子・珈琲《コーヒー》と一しょに消化してあとへ残らない程度の退屈で幸福な近代結婚生活の小説」の作例には、ちゃんとなってるじゃないか。BAH!
で、とにかくリンピイの Who's Who へかかる。
彼の商売は三つから成り立っていた。
第一にリンピイは、マルガリイダという五十近い妻と一しょに、市の|山の手《バイロ・アルト》に独特の考案になる魔窟《まくつ》をひらいていた。マルガリイダは、CINTRAの古城のように骨張った、そして、不平で耐《たま》らない七面鳥みたいに絶えず何事か呪い喚《わめ》いてる存在で、リンピイの人生全体に騒々しく君臨していたと言っていい。そのうえ彼女は恐ろしくけち[#「けち」に傍点]だったし、自分の思いつき一つで家《ハウス》が流行《はや》ったので、しぜん稼業のことはすっかり一人で支配していて、リンピイは more or less そこの居候《いそうろう》みたいに、波止場《カイス》の客引きだけを専門にしていた。それも、実際マルガリイダ婆さんに言わせると、リンピイなんか居てもいなくてもいいんだけれど、商売の性質上、男のにらみ[#「にらみ」に傍点]の必要な場合もあったし、それに、リンピイは跛足のくせに素晴しく|喧嘩が上手《ハンディ・アト・フィスト》だったから、お婆さんも重宝がって、格別追い出そうともせずにただ顎《あご》だけ預けとくがいいよと言った程度に置いてやっていたのだ。この「マルガリイダの家」の呼び物は、テレサという白熊のような仏蘭西《フランス》女の一夜の身体《からだ》を懸賞に博奕《ばくち》をさせるのだった。だから、いつ行っても寄港中の船員がわいわい[#「わいわい」に傍点]してて、マルガリイダ婆さんの靴下は紙幣束《さつたば》でふくれてた。が、このリンピイとマルガリイダは、お互いにどまでも経済的独立を厳守する夫婦関係――何と近代的な!――だった。と言うより、つまりそれは、彼女が彼に充分な儲けを別《わ》けて与《や》らなかったからだが、そこで当然リンピイは、妻の一使用人として以外に自分だけの内職を持っていた。ここに企業家リンピイ・リンプの非凡な着眼が窺われる。すなわち、第二に彼は、一種の「船上出張商人《ヴェンデドゥル・デ・アポルド》」――英語で謂《い》う―― ship−chandler「しっぷ・ちゃん」――を開業していたのだ。
夜のりすぼん[#「りすぼん」に傍点]波止場で、僕は一つの不思議を見た――。
AYE! 闇黒《あんこく》がLISBOAの海岸通りを包むとき!
各国船員の行列《パレイド》にあるこほる[#「あるこほる」に傍点]が参加し、林立するマストに汽笛がころがり、眠ってる大倉庫のあいだに男女一組ずつの影がうろうろ[#「うろうろ」に傍点]し、どこからともなく出現するこの深夜の雑沓・桟橋の話声・水たまりの星・悪臭・嬌笑・SHIP・AHOY!
この腐ったインクの海は、何かしら異常な事件を呑んでるに相違ない。波止場の夜気は、僕の秘有《チェリッシュ》する荒唐無稽趣味《ワイルド・イマジネイション》をいつも極度にまで刺激するに充分だ。それが僕の全 being を魅了してすぐに僕を「夜の岸壁」の自発的捕虜にしてしまった。もちろんそこには、何とかして変った話材に come across したいという探訪意識が多分に動いていたことも事実だが、とにかくリスボンでは、今日のつぎに明日が来るのと同じ確実さと連続性において、毎夜の波止場《カイス》が浮浪人としての僕をその附近に発見していた。一晩として僕は夜の波止場を失望させることはなかった。
が、これには単なる探険心以上に、僕を駆り立てる理由があったのだ。
それは、こうして毎晩「夜の波止場」に張り込んでた僕へ、僕の熱心な好奇癖を燃焼させるに足る一現象が run in したからだ。
Eh? What?
きまって真夜中だった。暗いなかに人影がざわざわ[#「ざわざわ」に傍点]して、その黒い一団がしずかに桟橋を下りていく。桟橋の端には、物語めいた一そうの短舟《ボウテ》が、テイジョ河口の三角浪に擽《くすぐ》られて忍び笑いしていた。訓練ある沈黙と速度のうちに一同がそれに乗り移ると、そのままボウテは漕ぎ出して、碇泊《ていはく》中の船影のあいだを縫って間もなく沖へ消える。そして暫らく帰ってこない。が帰って来るとその一団の人かげが、同じ沈黙と速度をもって小舟《ボウテ》から桟橋へ上り、僕の立ってる前を順々に通り過ぎて、今度は町へ消えてしまう。夜なかに海を訪問する一隊! ははあ! 奇談のいとぐちには持って来いだ。しかも、believe me, それがみんな女で、引率してるのはびっこの小男だった。
これが毎晩である。桟橋と沖を往復する謎の女群。熟練を示すその沈黙と速度。At last, 大MYSTERYは僕のまえに投げられた。何のための毎夜のとりっぷ[#「とりっぷ」に傍点]? 女漁師? Absurd, 密輸団? Maybe.それにしても、何と祝福すべき小説――作者ライダア・ハガアド卿――的効果とシチュエイション!
山《サスペンス》もある。「|はてな《バッフル》!」もある。|大通り《ポロット》も|小みち《カウンタ・プロット》も充分ある。こいつにちょいと「|予期しない捻り《アンエクスペクテド・タアン》」さえ与えれば、ジョウンス博士主宰通信教授文士養成協会――名誉と財産への急飛躍! はじめて万人に開かれた成功の大秘門! 変名で有名になって親類知己をあっ[#「あっ」に傍点]と言わせ給え!――の「必ず売れる小説を作る法」の講義録にぴったり[#「ぴったり」に傍点]当てはまって、どうだ君、そろそろ面白くなって来たろう。NO?
まだまだこのあとが大変なんだ。
YES。港だから、そら、毎日船がはいるだろう。船乗りってやつは、女を要求して――たとえばマルガリイダの家のテレサなんかを目的《めあ》てに――やたらに上陸をいそぐものだ。が、上陸させちまっちゃあ話にならない。いたずらに老七面鳥マルガリイダをほくほく[#「ほくほく」に傍点]させるばかりで、何らわが新事業家リンピイの利得にはならないから、そこで彼らの上陸の前夜か、もしくは過半上陸しても不幸な当番だけ居残ってるところへ、暗いいんく[#「いんく」に傍点]の海を桟橋から一|艘《そう》の小舟《ボウテ》がこいで来て横づけになる。女肉を満載したボウテ! すると、訓練ある沈黙と速度をもって、五、六人の女隊が、アマゾン流域特産のぽけっと[#「ぽけっと」に傍点]猿みたいにするする[#「するする」に傍点]と船腹《サイド》の縄梯子《ジャコップ》を這い上って甲板へ現れる。これが真夜中の船の女客――船上商人《シップ・チャン》リンピイがひそかに駆り集めて来た「商品」だ。が、これも、昼間の市民としては、女中や場末の売子をしてる女達――相当若いの・かなり若いの・ほんとに若いの・少女めいたの・肥ったの・瘠《や》せたの・丸顔の・面長《おもなが》なの・金毛の・黒髪の――。
それらが次ぎつぎに船の手すりを跨《また》ぎながら、細い、太い、円い、めいめい色のかわった声を発する。
[#ここから2字下げ]
|今晩は《ボア・ノイテ》!
|今晩は《ボア・ノイテ》!
|今晩は《ボア・ノイテ》!
[#ここで字下げ終わり]
と思うとすでに、長い海によごれ切った水夫と火夫のむれが、この呼吸する商品のまわりにぐるり[#「ぐるり」に傍点]素早く輪を作ってる。にやにや[#「にやにや」に傍点]と殺気立つ選択眼。その、天候と粉炭と余剰精力とで黒い層の出来てる彼らの首根っこへ、女たちの白い腕がいきなり非常な自信をもって巻きついていく。最初に視線を交換した船員と売春婦――これほど直截《ちょくさい》な相互理解はまたとあるまい。港の挨拶はこれだけでたくさんだ。何という簡潔な「恋の過程《プロセス》」! 何て出鱈目《でたらめ》な壮観! そこここの救命艇のかげ、船艙《ハッチ》の横が彼らにとって船上の即席らんで※[#濁点付き平仮名う、1−4−84]うだ。そして、星くず・インクの海・町の灯《ひ》・夜風。五、六人の女と、時として五、六十人もの海の野獣と――こうして、それらの全場面に背中を向けて忍耐ぶかく待ってるあいだに、毎晩リンピイは一たい何本の煙草をじゅっ[#「じゅっ」に傍点]と水へ投げ込むことか?――GOD・KNOWS。
2
畏友リンピイ・リンプの驚嘆に値する発明的企業能力は、これだけでも充分以上に合点が往ったろうと思う。加うるに、この出張売春婦のPIMPをつかさどるかたわら、第三にそして最後に、彼はほんとの「しっぷ[#「しっぷ」に傍点]・ちゃん[#「ちゃん」に傍点]」をも兼ねていた。ほんとのしっぷ[#「しっぷ」に傍点]・ちゃん[#「ちゃん」に傍点]てのも変だが、実はこれも、一つの準備行動として彼にとっては必要だったのだ。と言うのはつまり、いよいよ生きた商品を持ちこむに先立ち、まず斥候といった形で、無害でゆうもらす[#「ゆうもらす」に傍点]な海の人々の日用品――それも陸での概念とは大分違うが――を詰めた鞄《ケイス》と、何食わぬ顔《フェイス》とをぶら[#「ぶら」に傍点]提げて、あたらしく入港して来た船へ、検疫が済むが早いか最初の敬意を払いにゆく。こうしてその船の徳規《デサイプリン》や乗組員の財布の大きさを白眼《にら》んでおいて、いわゆる「|岸に無障害《コウスト・イズ・クリア》」と見ると、そこではじめて、夜中を待って本業の女肉しっぷ・ちゃん船を
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