ノ歩き出した。僕はついてく。桟橋の話声・深夜の男女の雑沓・眠ってる倉庫の列・水溜りの星・悪臭・嬌笑。Eh? What?
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窒息しそうな濃いけむりのなかに、海の陽《ひ》やけで茶褐に着色された無数の顔が、呶鳴《どな》って笑って呪語していた。鋼鉄の指金具《ナックル》とあき[#「あき」に傍点]壜は星形の傷痕をのこす。頬へ受けた刃《ナイフ》は、古くなると苦笑に見えるものだ。マラガ生れの水夫長《ボウシン》、パナマ運河コロン市から来た半黒《はんぐろ》の三等火夫、濠州ワラルウの石炭夫《コウル・バサア》、ジブロウタの倉番《ストッキ》、聖《サン》ジャゴの料理人、ロッテルダムの給仕、各国人種から成る海の無産者と、大きな喧嘩師《ブルウザア》と敏捷な|ちび《ラント》と、留索栓《ビレイング・ピン》の打撲傷と舵手甲板の長年月と、そしてそれに、荒天の名残の遠い港のにおい[#「におい」に傍点]、強い顎《あご》と蕈《きのこ》のような耳、桐油《とうゆ》外套に赤縞のはんけち――海岸通りサン・ジュアン街の酒場《アベニダ》は、深夜の上陸船員で一ぱいだった。
そこへ、リンピイと僕が半|扉《ドア》を押したのだ。
すると一度にこの異国語の tenor crescendo だ。どこの貨物船の乗組員にも特有な、ストックホルム産|炭油《タアル》の香《におい》だ。それが S57 の感情的な水平線と、snappy な岬《ケイプ》ホウンの雲行きを思わせて、この狭い酒場《タベルナ》内部の色のついた空気を滅茶苦茶に掻き乱していた。
呵々大笑するふとった酒神《バッカス》、習慣的に一刻も早く給料袋をから[#「から」に傍点]にしなければ安心出来ない船員たちのむれ!
正面にずらり[#「ずらり」に傍点]と瓦斯《ガス》タンクのような大樽《バリイル》が並んでる。その金具の輪が暗い電灯に光って、工場地帯行きの朝電車みたいな混み方だ。数人の酒場男《タベルネイロ》と酒場女《タベルネイラ》が、この、戦時そのままの騒ぎを引き受けて、酒をつぐ・グラスを抛《なげ》る・金をひったくる・お釣りを投げる・冗談を言い返す・悪口もかえす・喧嘩の相手もする・自分も呑む。酒はきまってる。|燃える水《アグワルデンテ》。言わば、ほるつがる焼酎。一ばい金2|仙《セント》――どいす・とすとんえす――也。
壁は、十九世紀末葉の雑誌の口絵で張り詰めてある。何といううら[#「うら」に傍点]悲しい明け方の夢の展覧会! 蜂《はち》のような腰の馬上貴婦人と頬ひげの馬上紳士。乳を出して笑ってるボンネット。大帆前船《バアカンテン》難航の図。花の代りに美人の顔が咲いてる絵――これは仏蘭西《フランス》しゃぼんの広告――寝台の脚とそばに脱いである男女二足の靴だけを大きく出した写真――靴屋の広告――「OH!」と題したのは、女が向い風に裾《すそ》を押さえて困却してるところ。豚とダンスしてる坊さん。錨《いかり》をあしらった老船長の像。万国国旗一覧表。隣りはあめりか煙草 111 の広告画。
郵便棚も置いてある。この酒場へ頼んで、ここを郵便の宛所《アドレス》にしてる各国の船乗りが大分あるとみえる。寄港のたびに立ちよって受け取る仕組なんだろう。手紙や葉書がたくさん挟んである。混雑に紛れて、僕は郵便棚へ近づいて二、三枚手に取ってみた。古いのばかりだ。手垢《てあか》とごみで薄黒くよごれてる。が、これは一たいどうしたというのだ?――酒場の常連はきまってるはずだ。酒番の主人に顔の知れた船員ばかりで、あす出港という晩なんか、「おい、これからちょっと地中海まわりだ。今度はひと月ぐらいだろう。手紙が来たら頼むぜ。」「承知しました。気をつけて行って来なさい。よそであんまり変な酒《やつ》を呑《や》らねえようにね。」なんかと別れて、そして帰港するや否や、不恰好な既制服に、新しい安靴で久しぶりの固い土に足を痛めた彼らが、若いのも年寄りも、みんなどんなに期待に燃えてこの酒場《タベルナ》の郵便棚のまえに犇《ひしめ》くことであろう! すると、来てる来てる! 恋人から妻から娘から老母から! 眼白押《めじろお》しに立って、一枚々々熱心に自分への宛名を探す海獣たち――僕もこうしていまその一人を装《よそお》ってるんだが――この時は、彼らも完全に良人《おっと》であり、父であり、息子であるだろう! それだのに、みんなに捜し残されて、ここにこれだけ溜ってるのはどういうわけだ? これらの宛名の主は、船出したきり帰って来ないのか? 何と、船乗りへ届かない手紙の不気味さ! |暗い海底《マアル・テネブロウゾ》へは転送のしようもあるまい。
が、港の酒場はすべての不可能を信じてる。じっさい、七年前に笑って地中海へ出て行ったきりのあの男、一八九三年のXマスの晩に最後に見た彼――それらがひょっこり[
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