蕪kが、それぞれ何と夥《おびただ》しい金銀・香料・海陸の物産を貢《みつ》ぎものに捧げて、このテイジョの河口をはいって来たことだろう! 大理石の膚《はだ》の各国女奴隷・その売買所と仲買人の椰子《やし》の鞭《むち》・宗教裁判と火刑広場の野次馬・海賊|来《きたる》の銅鑼《どら》と吊橋の轆轤《ろくろ》を捲く大男の筋肉――そして今は、不潔と無智と猥雑と、海犬《シイ・ドッグス》の群と考古学的価値のほか何一つ近代文明への関点を有《も》たないりすぼあ[#「りすぼあ」に傍点]!
世界の隅っこに、これほど地球の進展から隔離された塵埃《じんあい》棄て場が現存し得ようとは、たしかに何人《なんぴと》も想像しない一驚異であろう! その雑然たる廃頽《はいたい》詩と、その貧窮への無神経と、その戦慄すべき alien banality と――。
SHIP・AHOY!
こうして改めてあたりを見廻しながら、その晩も僕は波止場附近に張りこんでいた。何か turn up するのを待つこころで。
真夜中だった。暗いなかに急に人影がざわざわ[#「ざわざわ」に傍点]して、一団の女がしずかに桟橋を下りて行った。桟橋の端には、物語めいた一艘の短舟《ボウテ》が、テイジョ河口の三角浪に擽《くすぐ》られて忍び笑いしていた。訓練ある静寂と速度のうちに、一同がそれに乗り移ると、そのままぼうて[#「ぼうて」に傍点]は漕ぎ出して、碇泊中の船影のあいだを縫って間もなく海へ消えた。そして暫く帰ってこなかった。が、帰って来ると、その女群が同じ沈黙と速度をもってボウテから桟橋へ上り、僕の立ってるまえを順々に通りすぎて町のほうへ消えていった。いつものびっこ[#「びっこ」に傍点]の小男が隊長している。今夜も沖を訪問してきた女たち――大きな「?」のなかから一行のあとを見送ってる僕へ、最後に小舟をあがったその小男が接近して来た。
『がた・らい?』
上海《シャンハイ》英語だ。紳士語では、「燐寸《マッチ》をお持ちでしたらどうぞ」――僕が応じた。
『YA。』
そしてまっち《アモルフォス》を突き出した。
すると跛足《リンピイ》リンプ――これはあとから酒場で自己紹介し合って判ったのだが、男は、Limpy Limp なる呼名《よびな》に自発的に返事して、つまりびっこだった――は、ここで一そう、ぴょこんと僕の胸へ飛びつくように現れて、それから、もう一度手を伸ばした。
『ガタ・エネ・セガレツ? HEY?』
今度は煙草だ。はじめはマッチ、つぎにたばこ[#「たばこ」に傍点]と逆なところに、これも後日|追々《おいおい》判然したんだが、愛すべきリンピイの狡才があった。仕方がないし、それに僕は、すこしでも長くこいつと会話して、出来ることならその「夜のおんな舟」の秘密へ一|吋《インチ》でも近づきたかったから、さっそく「|客間の香気《パフュウム・ドュ・サロン》」のふくろを提出しながら、
『取れ。但し一本。』
『勿論《コース》!』
と燐寸《まっち》を擦《こす》って、そこで彼は、その火の輪のむこうから僕の顔に驚いた。
『HUM! いよう! お前は毎晩ここらをうろ[#「うろ」に傍点]ついてる支那公《チンキイ》だな!』
『YA。ロン・ウウって名だ。』いいことにして僕が答えた。『お前はまた、いつも夜中におおぜい女を連れて海へ出るじゃないか。何しに行くんだ?』
『U−hum !』
リンピイはただ頷首《うなず》いた。が、彼が、いぎりす生れの「決して帰らない迷児《まよいご》」のひとりであることは、その語調で直ぐにわかった。とにかく、ふたりの港の客人ロン・ウウとリンピイ・リンプは、こうしてそこの、波止場《カイス》の夜露と「|客間の香気《パフュウム・ドュ・サロン》」のなかではじめての握手を交したのだ。
ぱふ・ぱふ・ぱふ――暫らく黙ってたのち、煙草のあいだからリンピイが訊いた。
『何してる今。』
『ME?』
『YEA。』
『なんにもしてない――煙草をふかしてる。』
ぱふ・ぱふ・ぱふ―― and then,
『どこから来た。』
『ME?』
『YEA。』
『支那から。』
『英語は?』
『波止場《カイス》の英語なら、YEA。』
『GOOD! どうせお前なんかどこへ行ったっておんなじなんだろう。どうだ、俺んとこへ来て手伝《ヘルプ》しないか。』
『ME?』
『YEA。』
『何を――?』
『しっぷ・ちゃん。船上出張商人《シップ・チャンドラア》だ。知ってるだろう?』
ぱふ・ぱふ・ばふ――何と便利に自分から持ち上りかけた大MYSTERYのふた[#「ふた」に傍点]! |眼の眩む喜望《ダズリング・ホウプ》が僕の発声機能をまごまご[#「まごまご」に傍点]させて、ちょっと口が利けない。それをリンピイはさっさ[#「さっさ」に傍点]と承諾にきめて、早速踊るよう
前へ
次へ
全20ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング