オろを向いて盛んに饒舌《しゃべ》り散らす。
『ええ、十七日の十一時ごろから明け方へかけて土砂ぶり、ナポレオンの兵隊は足拵《あしごしら》えがよくなかった――おまけに大きな溝がありましてね。いまそこへ行きますが。』
 そこへ行こうとして曲り角へ出る。オテル・ドュ・コロウヌと看板を上げた村の倶楽部《くらぶ》みたいなささやか[#「ささやか」に傍点]な居酒屋がある。
『一八六一年、ユーゴウはこの家に滞在して、あの「|ああ無情《レ・ミゼラブル》」のなかのウォタアルウのところを書いたんです。やっぱり実感を得に来たんでしょうなあ。』
 ここでも運転手は自分が書いたような顔をする。ぞろぞろ下りて這入りこむ。
『ユーゴウのいた部屋を見たい。』
『ビイルか葡萄酒《ぶどうしゅ》かレモナアドか、何を飲む?』
 バアのむこうに控えてる女は一こうに要領を得ない。その要領を得ないところを掴まえていろいろに詰問すると、まことユーゴウのいたことは事実に相違ないが、もう代が変ってすっかり判らなくなっているという。この問答を聞いて、むこうで村の坊さんがひとりでにやにや[#「にやにや」に傍点]笑ってる。仕方がないから運転手君と三人でレモナアドの大杯を傾ける。今こいつに酒精《アルコール》分を許しては大へんだからだ。
 それからまた田舎みち。モン聖《サント》ジャンの野原。ここがほんとの戦場だ。陽がかんかん[#「かんかん」に傍点]照って「土のピラミッド」が立ってる。下に「当時のパノラマ」の見世物がある。這入ってうっかりしてるとのこのこ[#「のこのこ」に傍点]案内者がついてきて勝手にまくし立てる。
『この時ナポレオンは兵七万一千九百四十七を擁し、あれなる白い百姓家プランシノアに陣取りまして午前九時、あい変らずこう左手をうしろに廻して白馬に跨《また》がり――それに対し聯合軍は、こちらのブラン・ラルウの街道を押さえ――。』
 見たようなことを言ってる。
『ははあ、どうも大したもんだな。』
『大変でしたろうねえ、ほんとに。』
 ほどよく感心してビラミッドへ登ると、頂上に獅子像が頑張っていて、いま見たパノラマの現場は指呼《しこ》のうちだ。
 天地悠久と雲が流れて、白耳義《ベルギー》の野づらはうらうら[#「うらうら」に傍点]と燃えている。ここにも「すっかり当時を心得」たのが網を張っていて、
『あれ! あすこに見えまする一本の
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