體ェとがそこここに揺れている。
 時計はとうに三時二十七分を過ぎて、カレイ・ドウヴァの汽船に聯絡する汽車から吐きだされた乗客のむれが、ぞろぞろ停車場を出て来た。アドルフ・マンジュウの出迎人は瞬間石のように緊張しながら、一列につづく自動車のために細いみちを開ける。そこを群集に驚いた乗客たちが、思いおもいにタキシを走らせて通りすぎてゆく。それがすっかり通り過ぎてしまっても、奇蹟はまだ出現しない。一同は散ろうともせずに待っている。いぎりす人らしく自治的に、そして可笑《おか》しいほど厳粛な沈黙と静寂のうちに。
 私たちは飽きてしまった。で、いささかばかばかしくなって歩き出そうとしたときだった。
 ざわざわと停車場の出口《エキジト》にあたって少数の人がうごいたように思った。と、誰もかれもが一そう首を伸ばして、同時にアドルフ、アドルフというじつにものしずかな――英吉利《イギリス》人らしい自制的な――声がつたわってきて、女は手ぶくろを振っている。
 灰いろの大型な幌無自動車《オウプン・カア》が人のなかの通路をすべってゆく。車のまえは一本の隙間が長くひらけ、車のうしろには女の信者たち――女給、女事務員
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